ナガエ

グリーンブックのナガエのレビュー・感想・評価

グリーンブック(2018年製作の映画)
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これは良い映画だったなぁ。シンプルな設定だけど奥深いし、説教臭くなりがちなテーマを扱っているにも拘わらずまったく説教臭くない。それぞれの立場がさりげなく描かれつつ、お互いがお互いと関わることで、今の立ち位置から少しずつ自分の立場を変えていく感じが凄くいい。日本人でもクスッと笑える場面が結構ある(外国の映画だと、日本人にはちょっと分かりづらい笑いとかあったりする)ので、コメディ的にも楽しめるし、さりげなく様々な教訓っぽいことを挟み込んでくるところも全然嫌味じゃなくて良い。

どこまでが「実話」なのかはわからないものの、具体的な個別のエピソードはともかく、「この2人の間にはこういう関係性があったんだろうなぁ」と感じられるような作品で、とてもよかった。


映画を観ながら、いつも意識していることではあるけれども改めて気をつけないといけないなと感じた場面があった。

こんなシーンがある。黒人の天才ピアニストであるドクター・シャーリーは、特に黒人への差別が色濃く残る南部での8週間のツアーを行っている最中だ。そんな中招待されたある会場に併設されたレストランで、シャーリーは「黒人だから」という理由で食事が許されない、という状況になる。そのレストランで食事をしているのは皆、シャーリーのバンド演奏を聴きに来た客だ。それなのに、まさにVIPであるはずのシャーリーが食事を断られるのだ。

シャーリーを招待した支配人が、シャーリーに「ここで食事をしていただくわけにはいきません」と断る。この支配人を観て観客の多くは「よくもまあそんな判断・行動が取れるものだ」と感じるのではないかと思う。

ただ、気をつけなければならないのは、僕らも気づかない内にこの支配人のような行動を取ってしまっているかもしれない、ということだ。

この映画で描かれるのは「黒人差別」だが、差別は決して黒人に対してのみ行われるのではない。どんな時代にもどんな地域にも、その時その時で「差別」が存在する。

映画の舞台となる1962年当時のアメリカ南部では、この支配人の判断・行動は「真っ当なもの」だった。僕らの常識では信じられないが、そういう時代がかつてあった。そして、同じことは僕らにも言える。僕らが今「真っ当だ」と感じている判断・行動が、未来の人から「私たちには信じられない」と言われるようなものである可能性は十分にあるのだ。

この映画に限らず、差別を描くすべての作品に言えることではあるが、映画・小説の中に登場する人物を「信じられない」「クソだな」と思っているだけではなんの意味もない。人類の歴史は常に差別の歴史でもあるのだから、僕らは僕らで「今の自分の言動が真っ当なのかどうか」について振り返る必要がある。

僕は普段からそういう意識を持っているつもりだが、こういう作品を観ると改めて「気をつけないとな」という気分になる。

内容に入ろうと思います。
コパというナイトクラブで用心棒をしているトニー・リップは、勤務先の改装に伴って一時的に失職することになる。彼は「医者の運転手の仕事があるから面接に行ってみては?」と勧められたため、何故かカーネギーホールの上階にある「診療所」に向かった。
すると出てきたのは、王族のような格好をした黒人だった。通された部屋も、象牙やら宝石やら高価なもので溢れていた。ドクター・シャーリーと名乗った黒人男性は、「医者ではなくピアニストだ」と口にし、「これから8週間、ディープサウスを含むアメリカ南部でコンサートを行うので、その運転手を探している」と言った。
トニーは黒人に対して嫌悪感を抱いている。ある日、家に工事にやってきた黒人男性2人組がいた。妻のドロレスは黒人にも分け隔てなく接するのだが、トニーは妻が黒人に出した水を入れるのに使っていたコップをこっそり捨てた。イタリア出身の彼は、黒人の工事士がいる中、義父とイタリア語で「黒ナス(黒人のこと)が来るなんて知らなかったんだ」と侮蔑的な言い方をしている。
そんなわけでトニーは、一旦は運転手の仕事を引き下がった。しかしその後色々とあり、結局8週間のツアーの運転手を引き受ける。
レコード会社の人間から、車の鍵など必要なものを受け取ったが、その中に「グリーンブック」があった。これは、「黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブック」だ。当時のアメリカには「ジム・クロウ法」という、「白人と黒人を区別することを許可する法律」が存在しており、特に南部では黒人に厳しい形でその法律が適用されていた。そんなアメリカ南部を巡るのに、この「グリーンブック」は必携だったのだ。
これまで「口からでまかせ」を繰り出してどうにか生き延びてきたトニーと、高い教育・教養を持つシャーリーとでは、最初はまったく噛み合わなかったが、様々なトラブルを乗り越えたり、思いがけず本音でやり取りしたりする時間を過ごすことで、彼らの関係は当初のものとは大きくことなるものへと変わっていき……。
というような話です。

個人的に良いなと感じたのは、「2人の関係の進展が、決して分かりやすくはない」という点。設定や構成は非常にシンプルながら、2人の関係性が「分かりやすくは進んでいかない」のがいい。

例えば、よくある物語であれば、「最初は険悪だった2人が、色んなことを乗り越えながら友情を深めていく」みたいな展開になる。その方が王道だし、最大公約数が感動しやすい物語に仕上げることが出来るだろう。

しかしこの物語は、そうはしていない。

例えばトニーは、確かに映画の冒頭から「黒人に対する嫌悪感」を抱いていることが示唆されるのだが、だからといってそれが前面に現れるというわけでもない。自分の雇用主だから、ということももちろんあるだろうが、シャーリーを意図的に不愉快にするような行動を取ることはない。

一方のシャーリーにしても、無学なトニーを意図的に馬鹿にしたりすることはもちろんないし、雇用主と雇われ人という関係もあるのだろうが、気安く接したりするでもない。

というように、この2人のスタート地点は「明確な対立」が描かれるような形では始まらない。繰り返すが、物語的には「明確な対立」を描くほうが楽だと思うのだが、この物語はそうしていない感じがある。

個人的には、この構成が良かったなと思う。

そういう展開の物語だからこそ、「2人の関係性の変化」を描き出すことは結構難しくなるだろう。「最初にあった対立が無くなり、それどころか友情が芽生えました」みたいな展開にすれば分かりやすいが、この2人の関係性は結構後半の方まで「どうなるんだろう?」みたいな浮き沈みがある。その起伏によって観客を惹きつけているわけだけど、「関係性の変化」という意味では分かりやすく提示できない構成だと思う。

けど、やはり最後まで観ると、「2人の関係はメチャクチャ変わったよなぁ」と分かりやすく実感できるように作られていて、その辺りもとても上手いと感じた。

映画の中では、セリフというよりも行動でお互いへの「感情」が示されることが多く、特にそれはトニーに当てはまる。シャーリーはなかなかにわかりにくい人物なので、セリフからも行動からもはっきりとした感情が読み取れないことの方が多い気がするが、トニーは逆で、行動ではっきりとそれを示す感じがある。そういう意味でもまったくタイプが異なる人種なのだが、最終的にはだからこそ馬が合うという感じにもなったのかなと思う。

しかしホントに、改めて思うけど、「VIPとして招待しているにも拘わらず、演奏以外の部分ではいち黒人として扱う」というスタンスには驚かされる。先程、レストランでの食事の件を挙げたが、映画では他にも様々な「差別」が描かれる。

そしてそれらを観る度に、「どういう神経をしているんだろう?」と思う。

少しこの辺りの感覚の話をしよう。もちろん僕は「差別」そのものに対してもそのように感じているのだが、先程書いた「どういう神経をしているんだろう?」はもう少し違う意味がある。先程も書いたが、「VIPとして呼んでいる人物に対しても黒人のルールを押し付けること」に対してそう感じている。

だってこういうことだ。あなたがある人物を、「是非ウチに来てください!」とラブコールを送って来てもらう。三顧の礼とまではいかないかもしれないが、とにかく「呼んでいるのは会場側」なわけだ。しかしその会場の人間が、「あなたは黒人だから◯◯出来ません」と言うのである。

「差別」そのものも酷いわけだが、ただ「差別をしてしまう心理」は理解できなくもない。要するに人間は「自分よりも下」を恣意的に設定することで、安堵感を得ているということだろう。行動はクソだが、その内面が理解できないかというとそうでもない。

しかし、「VIPとして招待しておきながら、レストランでの食事は許さない」という心理は、僕にはまったく理解できない。よくもまあ、そんなことが出来るものだな、と感じる。

この点についてシャーリー自身が、「上流階級の人間は『教養がある』と思われたくて私の演奏を聴きに来る」と皮肉的に口にする場面がある。本当にその通りなのだろう。結局「自分に泊をつけるためのツール」ぐらいにしか思っていないのだ。「差別をする人間」もなかなかにクズだが、しかしこの映画で描かれるような招待側や上流階級の「ピアニストじゃないお前はただの黒人だよ」的扱いの方に、僕はより強く苛立ちを覚えてしまう。

もちろん、そのような背景を醜悪的に描くことによって、トニーのフラットさがより際立つという側面もあって、やはりそういう意味でも全体の構成が上手いなと感じた。

映画のラストの展開は、「なるほど、こうなるんだろうなぁ」と予想できるものの、とにかくそれがメチャクチャ良かった。映画の本当に最後の最後のセリフも見事で、全体的にとても良かったが、終わりが特に素晴らしいと思う。良い映画でした。
ナガエ

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