幕末、旧幕府軍の東軍と新政府軍の西軍が戊辰戦争に突入した日本にあって、越後の小藩長岡藩の家老・河井継之助はどちらの軍にも属さない武装中立を目指し戦争を回避しようと奔走する。
河井継之助は昔大河ドラマで見たことのある人物だったが、あまりその人となりに触れることはなく(当然原作未読)、今回初めてしっかりと知ることができた。
題名が『最後のサムライ』なので、継之助は古臭い武士道にこだわる堅物なのかと思っていたら、見事に予想は覆された。
長岡藩のような小藩が生き残る唯一の策として日本全土での無駄な争いを避け、長岡藩は武装中立、双方の仲介役を買って出るという発想はむしろ近代的。
一方新政府軍=西軍のやっている戦争は完全に倒幕活動当時に根差した遺恨返しでしかなく、薩長土の指揮官はならず者にしか見えない。
映画は世の中の大勢を占め圧倒的な戦力で長岡藩に無理難題を押し付けてくるならず者集団=西軍に、小藩ながら人として筋を通し続けた継之助の大義のあり方を継之助の人となりを描くことで伝えようとしている。
しかし継之助は具体的策に絶対の自信を持ちおごるような理想主義者ではなくて、むしろ現実論者。
常に迷い、状況に左右されながら必死に生きていく姿は戊辰戦争当時の混乱をリアルに描写してみせる。
一方興味深いのは継之助と妻おすがの関係性。
物語の大筋からして、ともすれば男目線の生き方にこだわった継之助の物語になりそうなのだが、おすがを連れて芸者遊びに行ったりオルゴールをプレゼントしたりするエピソードがむしろ丁寧に描かれていて好感が持てる。
先入観かもしれないが、男尊女卑だったであろう当時にともに同じ方向を見続ける夫婦愛のあり方をいっしょに選んでいる二人の姿は愛情深く清々しい。
現代でもそんな夫婦ばかりではないのが現実だろう。
また、そんな二人を見守る父と母を田中泯と香川京子があたたかく演じていて、特に田中泯はいつもの殺気を封印するかのようにやさしく演じているのが印象に残る。
河井継之助は近代国家を見ることはないのだが、彼は大政奉還から議会制民主主義への以降を考えていた坂本龍馬とむしろ共通した近代的思考を持っていた人物に見えてくる。
もし明治以降継之助が生きていれば日本という国家はまた違った方向に舵を切っていたのではないか、その一端を彼はきっと担ったのではないかと思うと無駄な戦争で落命したことが残念でならない。
映画全体としては、むずかしい言葉が何の解説もなくポンポン飛び出してきて、年齢の高い観客層を狙った作りになっているのはわかるし、あえて作品の格調の高さを持たせたかった意図は読み取れるのだが、原作未読なのだが、司馬遼太郎作品の持つ独特の平易な表現力を映像に持たせきれなかったのは惜しい。
ただ、役所広司の演技にはわかりやすい雰囲気が漂っていて、その演技力で若者もしっかり追える作品になっていると思えた。
戦闘シーンや西軍の背後を突いた奇襲攻撃の演出などは平坦でいまひとつ映画的高揚感に欠けるのは残念なのだが、河井継之助という人物にしっかりとスポットライトを当てることが目的の映画と思ってみれば、それは十分役所広司の力で成功している作品だと思えた。