菩薩

高校2の菩薩のレビュー・感想・評価

高校2(1994年製作の映画)
4.8
なんて豊かな教育現場なのだろうと、終始涙を堪えながらの鑑賞となった。ここには人に本来備わっている「知的好奇心」と「思考力」を生かして伸ばす為の教育システムが存在している。教育勅語以降「答え」に向かって皆を画一化していく事こそ正義の、未だ板書中心主義から一ミリも脱却出来ない日本の教育システム、教師は偉そうに少しばかり高い壇上に登り、生徒に背中を見せながらその小さな箱の中でまるで一国一城の主だと言わんばかりに強権を振るう。点数至上主義、そして経済史上主義の日本の教育現場においては、足並みを揃えられない者は自己責任の名の下置き去りにされ集団から疎外されていく。本来人生を生きやすくする為の教育であるにも関わらず、教室を監獄と感じ、心に消せぬ「生きにくさ」のトラウマを負う者のなんと多い事か、かく言う自分もその一人である。この学校では教師は生徒の横、もしくは視線の先に座り、生徒の「why」と「because」に対し「how」を提供するに留まる。下級生同士の喧嘩には上級生がその仲裁役を買って出て、教師はあくまでも助言者の域は出ない。討論、作文、読書を教育の中心に据え、生徒同士の会話力を養い問題解決能力を伸ばす。「貴方は私では無い」との当然の認識を植え付け、だからこそそこに唯一の答えは無く、生徒達は目の前の問題に対しより「better」な、そして「best」な選択肢を模索していく。よく見聞きし分かるからこそ、人はその成果を忘れずに居られるのでは無いか、我々が義務教育で詰め込んだあの知識は露と消え、その先には当たり前に思考能力を何処かに置き忘れた人々が存在している。教師はどうあるべきか、指導者であり助言者であり、その視線の先には生徒と同じ未来を見据えるべきである。現代社会、そして現代アメリカが失ったアメリカン・ドリームの姿、高等教育と言えども、その根底には幼児教育の「自由さ」が必要である。「知る」はきっと「楽しい」、そして「嬉しい」事である。
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