高校2の作品情報・感想・評価

「高校2」に投稿された感想・評価

イシ

イシの感想・評価

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なんか字幕もない状態で見たんで細かいことはよくわかんないんだけど、向こうのガッコの服装とか楽そうでええな~
みんな90年代の感じのフープピアスしててめっちゃかわいい

私も通信制高校行ってたから髪染めまくってたしピアスがんがん空けてたけど、それでもなんか閉じてる感じがしてたから、こんな、普通高校? でも閉じてない感じに見えるんはうらやまー

よくわかんないなりに、後半の方が好きかな~
性教育とかフツーにしてて偉いよなーと思ったり、合唱してたり、授業内でぎゃんぎゃん言い合いしてたりして楽しそ~☆

と、ワイズマンの中では割とだるっとならんと最後まで見れた気がしました。長いけどな
mn

mnの感想・評価

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めちゃくちゃこの高校も面白くて行きたい!
成績優秀者ばかり集まってるのかと思ったら宿題ができないもう限界と泣き出す子もいるし、子供同士の喧嘩を高校生が仲介したりとにかく面白そうな高校

大学に高校生が通ってるって感じ
やっぱり大学生と高校生って違うんやなあと感じそうでそこまで変わらないようなアメリカの高校生やからかなあ
でも人と人の関係の結び方とかはやっぱりあ〜小学校から中学校、高校、大学でだんだん変わるものだなあとやっぱり思った

ワイズマンが選んだ高校?だからなのかよく高校の先生たちが人同士の関係の話をしていたけど、まさにワイズマンと高校のひとたちの関係がそれそのものだったように思えてめちゃくちゃ面白かった〜

長かったけど面白かった!!
いけ

いけの感想・評価

4.0
子供たちの模擬国会が面白い
共産党員入れない法や障害者入れない法などが議題にあがるも、会議は紛糾!
急に立ち上がる子供や議論を見る先生と生徒が投げかける疑問にキレ気味で答弁する子供たち。

何よりアメリカの民主主義意識の圧倒的な高さに打ち震える。全ての前提に議論が存在していて(2人の子供のちょっとした喧嘩まで)なんかもう参りました。
このセントラルパーク東高校という学校は対話と論理を超重視したウルトラ民主主義的カリキュラムを組んでるのでミニチュア裁判みたいな形式で下級生の喧嘩の仲裁なんかを教師ではなく上級生が担当する仕組みまであるらしい。アメリカすげえ。これで公立校なのか。

撮影が1992年なので生徒の口からロドニー・キングとロス暴動の話題が結構出てくる。ロス暴動テーマの『マイ・サンシャイン』がこのあいだ公開されたばかりなので偶然のシンクロ、面白いもんですねぇと思っていたら7年生ぐらいのディスカッションの授業で議題が(たぶん)アメリカはどのような人の入国を制限すべきか。
法案を作ってください形式なので無邪気なキッズの口からナチュラルに障害者は入れない法、共産主義者は入れない法、学力テストを受けさせて点数の低い人は入れない法などが飛び出して、面白いどころではないたいへんなアクチュアリティ。
キッズ議会は次第に紛糾、カメラもエキサイティングしてきてスポーツ中継みたいになってくるあたり激アツだったが、それにしても今の大統領の人はこの7年生の子供と同じような発想でお仕事をしているのか…と思うとまた別の意味でもアツかった。

生徒たちが政治活動をできるよう教育するのも自分たちの仕事、と教員。お国柄の違いを垣間見るが、そこにイデオロギーが入ってはいけないし、しかし政治教育とイデオロギーを切り分けるのは難しいと先の発言は続く。
ロドニー・キング裁判に対する平和的な抗議デモを自主的に計画・討議する生徒たちも含め、あまりにも民主主義レベルが高いので羨みながらも(俺とは違う世界に住んでいる人たちだ…)と引いてしまうが、一方で明らかに意識低い系の生徒たちにもしっかりカメラを向けて、ワイズマンの映画だからもとよりそんな心配はないが、理想を垂れ流しているわけではなかった。

映画の豊かさを担保しているのはむしろ意識低い系の生徒たちで、デモを計画するような頭の良い生徒はカメラの前でどう振る舞うべきかよく知っているが、ままならない目の前の生活で手一杯のダメ生徒の方は自分の見せ方を知らない。
虚勢に弱さに笑いに怒りに悲しさにと一つのシーンで様々な表情を見せるダメ生徒たちとその下町喜劇的やりとりはニヤニヤ不可避かつ感動的。
こういうのが多様性ってもんでしょう、こういうのが。意識の高いやつと低いやつが同居する空間が。

いや、素晴らしい映画でした。ちなマイベストシーンは課題レポートをいつも提出しないからついに四者面談に呼ばれてしまった怯えキッズを超こえー母親がめちゃくちゃ叱るので隣で話を聞いていた教師二人が(いやそこまで言わなくても…)みたいな顔をするところです。
天カス

天カスの感想・評価

5.0
自分の受けてきた教育というのは生徒が教師という存在に盲従的になることだという現実をまざまざと見せつけられた気分だった。
少なくとも自分の受けてきた教育というのは自分で思考することを促されはしなかったし、教師に壁を用意されて、「さあ後は自分で登れ。登れないのは力が足りないからだ。」という具合だった。
それに対してあまりにも自由に豊かな議論が交わされるこの映画の高校とはなんだろう。学ぶことが楽しくて面白くて、結果的に何かに結びつき、無駄なことなどないと教えてくれる人たちばかりのようだ。壁に登れない生徒にキッカケを与える。その寄り添う目線だけで感動した。

不要必要それだけでカリキュラムが組まれ能率化と言う名のもとに無駄が排除された教育に盲従しようとして脱落した自分は、この映画に出てくるどの生徒たちよりも、想像力が足らず思考力が足りず、生きることに自信も余裕もないのだと思う。
教育を、ゆとりか詰め込みかなどと言った二項対立でしか議論できないことのあまりに貧しいことよ…。
kyoko

kyokoの感想・評価

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幼児教育者であったデボラ・マイヤーがセントラルパーク東地区に設立した公立校が舞台。
貧困と治安の悪さで有名だったハーレム地区でありながら高い進学率を誇っている。

同じ地区に12学年の生徒たちがいて、劇中登場するのは7~12年生のようだ。
18歳にしてすでに父親である者もいれば、15歳で出産をして復学した者もいる。
同級生としょうもない小競り合いを繰り返す2人(ずいぶん幼い感じだったけど何年生だろう)の仲裁は上級生がおこなうが、「解決」とは何かを、当事者たちだけではなく、仲裁する生徒たちにも学ばせるやり方が素晴らしい。
白人教師の割合が多いことを批判する黒人の生徒。
どうしても宿題を提出しない生徒。
そのつど教師または親は真剣に向きあい、「おまえはダメだ」ではなく「なぜそう考えるのか。どうすることがベストであると思うか。どうすればいいのか」を共に考える。
田舎特有のガチガチな保守の鎧を着た教師がまだ強い立場を保っていた時代に中高生だった私にとって、涙が出そうになるくらい羨ましい環境。

今ようやく日本でも「アクティブ・ラーニング」を実践する学校が出てきたけれど、それでもなお四半世紀も前のアメリカと比べて、なんと遅れていることか。
ただ一律に同じ知識を詰め込ませるだけで良かった時代が長かった日本の教育現場で、子どもたちを個々に見つめ、自考させつつ導くという教師としての高度な資質の求めに果たして応えることができるだろうか。
tko

tkoの感想・評価

4.1
Rec.
❶18.09.08,シアター・イメージフォーラム(16mm)/フレデリック・ワイズマン特集
菩薩

菩薩の感想・評価

4.8
なんて豊かな教育現場なのだろうと、終始涙を堪えながらの鑑賞となった。ここには人に本来備わっている「知的好奇心」と「思考力」を生かして伸ばす為の教育システムが存在している。教育勅語以降「答え」に向かって皆を画一化していく事こそ正義の、未だ板書中心主義から一ミリも脱却出来ない日本の教育システム、教師は偉そうに少しばかり高い壇上に登り、生徒に背中を見せながらその小さな箱の中でまるで一国一城の主だと言わんばかりに強権を振るう。点数至上主義、そして経済史上主義の日本の教育現場においては、足並みを揃えられない者は自己責任の名の下置き去りにされ集団から疎外されていく。本来人生を生きやすくする為の教育であるにも関わらず、教室を監獄と感じ、心に消せぬ「生きにくさ」のトラウマを負う者のなんと多い事か、かく言う自分もその一人である。この学校では教師は生徒の横、もしくは視線の先に座り、生徒の「why」と「because」に対し「how」を提供するに留まる。下級生同士の喧嘩には上級生がその仲裁役を買って出て、教師はあくまでも助言者の域は出ない。討論、作文、読書を教育の中心に据え、生徒同士の会話力を養い問題解決能力を伸ばす。「貴方は私では無い」との当然の認識を植え付け、だからこそそこに唯一の答えは無く、生徒達は目の前の問題に対しより「better」な、そして「best」な選択肢を模索していく。よく見聞きし分かるからこそ、人はその成果を忘れずに居られるのでは無いか、我々が義務教育で詰め込んだあの知識は露と消え、その先には当たり前に思考能力を何処かに置き忘れた人々が存在している。教師はどうあるべきか、指導者であり助言者であり、その視線の先には生徒と同じ未来を見据えるべきである。現代社会、そして現代アメリカが失ったアメリカン・ドリームの姿、高等教育と言えども、その根底には幼児教育の「自由さ」が必要である。「知る」はきっと「楽しい」、そして「嬉しい」事である。

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