潜在的「ジョーカー」はどこにでもいるんだろう。
いかに努力をし、幸せを願って目指そうにも、蔑まれて、挫折をし、心を失って狂気に生きることを選ばざるを得なくなってしまう。そして、そんなシンボリックな存在を持ち上げ、暴挙を正当化するトリガーにもなる。
大なり小なり、現代にも無数にある闇なのだろう。わたしだって、闇の一部を抱えているかもしれない。正義とはなんだろう。助けとはなんだろう。みんな助けを求めているのに、それに気づいている人もいるのに、ひとを蹴落とすのは同じ人間の無垢な心と行動だ。
「ジョーカー」も「ダークナイト」も、少なからず深く主人公に感情移入してしまう。心の奥の悲しみに共鳴してしまうから。だから、悪の映画ではなく、悲しみの映画に感じてしまうのか。