真の弱者は“救いたい姿”をしていない
公開当時、呆然と映画館を後にし、その後数日間鬱々としていました。大好きな映画ですが、気軽に観れる内容ではないです。
『タクシードライバー』が描いた社会での孤立が生む暴力と狂気、『キング・オブ・コメディ』が描いた名声への執着や社会の病理、『ネットワーク』が描いたメディアの倫理観や人間性の喪失。これらの作品と同様に、本作のテーマは「承認」にあります。
弱者が疎外され極限まで追い詰められることで起こる悲劇。社会の無関心と承認や尊厳の欠如によって、暴力が唯一の承認手段となる恐怖、いわゆる「無敵の人」を生み出してしまう病理を描いています。
【社会にはびこる無視と無関心】
映画の根底にあるのは「承認されること」の重要性です。
敬愛するジェームズ・ボールドウィンの言葉に以下があります。
The most dangerous creation of any society is the man who had nothing to lose.
(どんな社会においても、最も危険な存在は、失うものが何もない人間である。)
Neither love nor terror makes one blind: indifference makes one blind.
(愛も恐怖も人を盲目にはしない。盲目にするのは無関心だ。)
アーサーが社会に認識されるのは、嘲笑や暴力の対象としてのみ。福祉サービスも、母の救いを求める手紙も、ゴミのように掃き捨てられます。アーサーがマレー・フランクリンやトーマス・ウェインに父親の存在を求めてもあしらわれ、自動ドアにすら認識されない始末。
貧困層が声を上げても、トーマス・ウェインは抗議者を「負け犬の道化(Clowns)」と見下し、彼らを認めません。暴動が起こる最中でも、富裕層はチャップリンの『モダン・タイムス』(工場労働の非人間性を描いた映画)を楽しんでいるという皮肉。
アーサーがテレビ番組でマレーを射殺することで、一気に「認識される」存在となりますが、彼の怒りと絶望はメディアによって利用されます。アーサーの母も、世間から唯一注目を浴びたのは「虐待した母」として報じられたときのみでした。
アーサーは革命家でもダークヒーローでもない「ただ認識されたい」存在でしかありません。彼の行動に信念はなく、ただただ壊れた社会が生み出す混沌の象徴。
【声なき者の声】
ホアキン・フェニックスのアカデミー賞授賞式でのスピーチがずっと頭に残っています。
The greatest gift this award has given me is the opportunity to use my voice for the voiceless.
(この賞が与えてくれた最大の贈り物は、声なき者たちに代わって声を上げる機会です。)
そして23歳で亡くなった兄リヴァー・フェニックスの詩を引用しました。
Run to the rescue with love and peace will follow.
(愛を持って救いに向かえ。そうすれば平和がついてくる)
私は誰かを無下にしていないか、心無い言葉を使っていないか、他者の承認欲求を馬鹿にしていないか、人を愛せているか、社会に関心を持てているか…。より良い社会をつくる一員なれているんだろうか。