Namekojiru

ジョーカーのNamekojiruのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
5.0
上っ面だけかじったようなチープなレビューは道をあけていただこう。
この作品は俺に語らせて頂きたい。長くなるけど。

アーサーがいかにジョーカーへと目覚めるか、
その過程は同情や共感ではなく、(あるいはそう認めたくないor認めるには憚るのか)「府に落ちる」という表現がしっくり来る。
理解を得られない持病、家庭内事情、警察ですら持つ偏見、心ない人々、社会格差…それらが重なって生まれたジョーカー。
それらを安易に同情や共感とは言えないが、納得してしまう、昨今の狂気じみた事件と照らし合わせてしまう人も多いだろう。

ただ、ラスト衝撃のシーンについて、勘違いしてはならない箇所がある。
ジョーカー自身が言う「失うものなどない」とは嘘なのだ。多くの人が誤解しがちだが、
狂人と呼ばれる人間は自暴自棄ではない。
なぜならアーサーは自分を笑い者にしたものに怒りをぶつけた。それは捨てられない「尊厳」があるからだ。
持論になるが人間の生存本能として尊敬がある。それは社会で生きていくために人に生きることを否定されない、脅かされないために必要なものだ。
注意深く見ると、アーサーはあのラストに向かう途中まで自殺を考えていたはずだ。
どうしようもない生の苦から自分の存在証明をあの晴れ舞台で見せつけ散ることを妄想していただろう。
だがあのラストの会話でジョーカーに目覚めた。いくら頭で自分の人生の限界を感じ、自殺を思いいたっても、本能が尊厳を捨てさせず、自身の肯定のために凶弾を自身ではなく敵に向けたのだろう。
他者から見れば狂気だが、彼自身からすれば社会を形成する人間という種族において、純粋な生存本能を発揮したのだ。
善悪なんて人の主観…とはそういうことだろう。
人の尊厳に踏み込んだらどうなるか、社会にジョーカーを生み出すその恐ろしい原因を問いかける問題作。ぜひ多くの人に見てほしい。
そしてそのジョーカーへの目覚めを演じたホアキン・フェニックスとこのテーマに挑んだトッド監督は凄まじい!

長くなったけど結局何がいいたいかと言うと
エロかわいいマーゴット・ロビーのハーレイ・クインが見たかったわ!
今作にはまったくカンケーねーけど!
マーゴット・ロビーはまじエロかわいい。
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