Namekojiru

シン・エヴァンゲリオン劇場版のNamekojiruのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

ネタバレ全開でレビューしたい!
テレビから追いかけていたので思いがあふれ長文だ!
※映画を見た人だけご覧ください。

ありがとう庵野監督!
さようならすべての庵野監督の鬱!
エヴァという作品の集大成にふさわしい娯楽でした!

周囲の優しさ、好意に気づき救われて立ち直るシンジ。自ら行動を決意することを知り大人になったシンジ。親子の会話。そして他者と生きていくことを恐れなくなったシンジ。
それらを序盤の旧友との再会から丁寧に描き、後半の怒涛の戦闘、親子対決で畳み掛けるジェットコースターのような展開。破からQへの謎・伏線を回収もしっかり行う。
と、同時に皆さんお察しの「エヴァの呪縛」とはエヴァファンにかけられたもので、それらをシンジの成長物語の完結と並走して、体験型エンタメとしてぶち壊していきながら観客を満足させて卒業させてくれる。
イマジナリーの不気味な演出や、初号機vs第13号機の特撮スタジオや茶の間でのシュールな戦闘は、観客全員が二回目以降の視聴なら心置きなく笑える応援上映対応型の決戦ギャグに仕上がってる。

旧劇と通ずるところもあるが、決定的な違いもある。
以下、超個人的な解釈。
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思うにゲンドウの感情の吐露は監督からエヴァファンに向けた言葉だ。
自分の子であるエヴァとそのファン。
「大人になれ」と昔は言いつつ、実は彼らはちゃんと成長できるし、成長していた。
そして実はエヴァに固執し内面で渦巻いてしまったのは監督自身。
シンジより大人でなかったのはゲンドウ。
エヴァファンよりずっと監督自身の方が特撮大好きな"オタク"だった。それが悪いというわけではないけど。
「大人になったな。シンジ。」とはオタクへの肯定と自身を省み受け入れた心の現れだろうか。諦観かも。
もちろんシンジとゲンドウの親子の物語ありきだが。

旧劇が監督によるエヴァを嫌いにさせるために汚物をぶちまけての強制退去作戦(一部変態にはご褒美)なら、
新劇は監督からの華やかな卒業式だ。シンジを大人と認め、最後に軽快に舞台をぶち壊して花火をあげたパーティーだ。
だから見届けた我々も清々しい。
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シンジはエヴァと好きだった女の子たちと自らの意志で決別し、そして新たな出会いをし、恋人を見つけた。
僕たちもシンジさんのようにイケボでパートナーに甘い声をかけられるように大人の階段登らないとね♪

しかし、庵野監督は特定のオタクを殺しにかかってるから注意してほしい。
「カプオタの思惑通りのカプなんかになんねーぞ!
いつまでもカヲルくんとかレイとかアスカとか太鼓のリツコとかいってんじゃねーぞ!
おっぱい大きくてメガネでエロエロなマリが最高なんじゃ!」
て、監督はきっと言ってる。


つまり何が言いたいかというと
マリ派の僕としては濡れ透け制服は最高でした♪
Namekojiru

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