スローターハウス154

ジョーカーのスローターハウス154のレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.9
2019/10/11

人と違ってしまうことを笑われる経験が少なくはなかったり、“世の中の平均”についていけないと感じる人にはかなり刺さる映画だと思う。人によっては刺さりすぎるだろうから、迂闊に他人におすすめはできない。

みんなそれぞれが各々の地獄の中を生きているんだろうけど、これは隠しようもなく地獄を生きているなという人は、自分の身の回りにも何人かいる。「あの人、大丈夫かな..」と心配になる鑑賞中・鑑賞後だった。その際、自分は心のどこかでその人らに「あんま関わらんとこ..」と思っていたことに気づいた。そりゃ会った時に挨拶とか最低限のコミュニケーションはとるけども、その人らの愚痴にはあまり耳を傾けないようにしていた。なぜなら自分にはどうにもできないし、そもそも自分の事じゃないから。つまるところ、俺だって俺の地獄でもがいているしそれどころじゃないんだ、お前にかかずらってるヒマはない、ということね。

その人の状況が救い難くなればなるほどに世間の風当たりはキツくなる。ここまで酷い状況になったのはお前が無能なせいだから、お前の努力不足だから、と。そうして誰からも見下され無視される人が生まれる。
「悪に染まる」のはその人に起こった1つや2つの大きな出来事があったから、だけでは理由にならない。原因はその背景にあるのではないか。日常的に些細な抑圧が積み重なっているからこそ、その1つや2つの大きな出来事が起こったとき「悪」が覚醒するのではないのかな。

世の中から「悪」が無くなるとは毛頭考えられないが、少なくとも身の回りで「悪人」を輩出することは、ある程度予防できると思う。あるいは「悪人」になることを先送りできるかもしれない。その「悪」の予防策とは、個々人が他者への共感を持つこと。もし身の回りの誰かが困っていたら、助けることはできなくても無視はしないこと。
顔を合わせた時に軽く挨拶をするだけでも、その人にとっては少しの救いになるかもしれない。そう考えると、小中学校で毎朝散々やらせられた「挨拶運動」の意義が今ならちょっとわかる気がする。

できればもう一回観てからレビュー書きたかった。オープニングの「JOKER」のデカすぎタイトルもそうだけど、終始どこを取(撮)っても上質な画でエロカッコ良かった。