じょ

ジョーカーのじょのネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

・午後休をもらい、暇になったから偶然見に行った。アメコミ作品を見たことは皆無と言っていいので、当然この作品がアメコミ起源だということも鑑賞後に知る。ゆえに、「ジョーカー」のキャラクターは一切無視して一人の男性「アーサー」としてみていた。ストーリーの前提知識も一切なかったから余計な先入観なくて良かったのかも。

感想
①なんだこの漂うタクシードライバー感は・・・社会の中で「見えないもの」とされている人間の自分の存在が確信できない日々、その中で十分すぎるほど堆積された孤独と悲しみ、見ているだけでしんどくなってくる。ニューヨークという大都会で、余計感じる自分の無力感、必要とされていない感。
(本質的には、人がたくさんいるとか関係ないと思うんだけど、地方で暮らすようになって都会と田舎の人間関係は全然違うと身にしみているので一応残しておく、田舎暮らしを推すつもりはさらさらなくて私は結局都会の方が生きやすいんだけど。)
まあ、そんな感じで、ロバート・デ・ニーロも出演し始めたからオマージュを確信した。(なんの事前知識もなかったから勝手に感動した)

②既得権益に不満を持つ一般市民たちが、反逆する、規定の倫理観に準じない、それぞれの「正義」を信じて行動を起こす、みたいな話、今(よく考えたらいつの時代もそうなのか)の世界を反映してるのかな、くらいの感じで一瞬思ったけど、結局は社会を作るひとりひとりの問題だよなと、見終わったあとよく考えたら思った。

「見えないもの」「”普通”じゃないもの」「みんなが見ないふりするもの」自分のことが、そんな風にしか思えなくなったらどうなるんだろう。正直本当の意味での想像は全くつかない。生きてきた環境、生まれる前から決まっていた環境、本人ではどうしようもできないこと。だから、共感とかするなんて全くおこがましいというか不可能だからこそ、自分には何ができるのかを考えざるを得ない。これはずっと悩み続けていくんだろうなと思う。
結局「孤独」って社会の中での自分がどう認められるかだと思うし、(そういえばタクシードライバーを観たあともこんなことを思ったのだった)小さなことだけど自分を認めてくれる人とか、優しくしてくれる人とか、自分の存在を少しでもすくい上げてくれる人がいない絶望感。そういう孤独を感じる人たちって色々な立場で死ぬほどいると思うんだけど、いかんせん周りが「見えない」「見ようとしない」から気づかない。見えたとしても、「”普通じゃない”」カテゴリーで勝手な先入観でその人の人格まで一方的に決めてしまう。どうしたらいいんだろうな。そういう周囲のの先入観とか社会の構造に意識的になるという意味でこういう映画が役に立っていくのかな・・・(勝手に)

社会は個人で成り立っているっていう当たり前のところに立ち戻った。社会のムーブメントって、何故起こるかって考えると社会の構造的な部分に立ち戻っていくと思うんだけど、でもそれも因数分解していくと結局個人の考えや、取り巻かれた環境だから、ちょっと意味がわからなくなってきたけど、どっちの視点も大事だし、どっちの視点も見失わないようにしたいな。


・ねずみはなんなんだ?何を表しているんだ?
・最後の殺された両親の息子が立ち尽くすカットは?
・音楽のダイナミックな転換がめちゃくちゃ効果的
じょ

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