これまた「邦題に殺された映画」
特に今作は完全に邦題とキャッチコピーのせいで酷い扱いを受けている。
僕は面白くてすぐに2回目を観ました。
Filmarksや映画.com、ヤフー映画のレビューを読むと、まず分かりやすいパニックホラーだと思って見始めた人が大半。
なのにフタを開けてみれば説明描写が極端に少なく、派手なアクションもない。怪物の正体や世界がどうなっているのか、登場人物たちがいったい何を考えていたのかをはっきりさせないまま終わってしまう。
だから「意味がわからなかった」「退屈だった」「内容がない」そんなレビューに溢れるのである。
でもそりゃそうなるよなという感じではある。だってみんな分かりやすいパニックホラーだと思って見に来てるんだから。
間違いなく邦題とキャッチコピーが悪い。しかも、そういう人たちが軒並み低評価をするもんだから全体のスコアも悪くなり、ますます観ようとする人が少なくなる。
そして観るのは自動的に“『クワイエット・プレイス』と間違えた人”と“はなからボロクソ言ってやろうと思って観る人”が多くなる。
前者はあっ間違えたと思った瞬間に集中力がなくなるし、後者はそもそも真剣に観ていない。
それでまた低評価をつけられ......の完全に悪循環である。
とはいえ、「理解できなかったから低評価」という行為が僕には理解できない。
理解できなかったものを理解しようとするから面白いのではないか。全部説明されなきゃわからない。考えようともしないって頭が悪すぎやしないだろうか。
人の数だけ感想があるのだから、低評価をつけるのは良いけれど、せめて頭を使って考えてみてから判断してほしい。
ということで映画の感想に入るが、まず大前提としてこの映画はパニックホラーではない。
つまり、主軸は怪物とどう戦うかとか、この世界の謎とは?ということではない。
じゃあなにがテーマなのかいうと、「不安と恐怖の中で生まれる疑心暗鬼、その果てにある人間の醜さと恐ろしさ」である。
これは冒頭にジョージ・ゴードン・バイロンの「暗闇」が引用されることからも明らかである。
今作には、観客を疑心暗鬼に陥れる様々なミスリードが仕込まれている。
消えた兄、虫の死骸を集める妹、開かずの部屋、不気味な人形や怪物の鳴き声etc......
けれどこれらが世界の謎を解き明かすヒントになっているわけでもなく、そもそも“意味”がない。
そう、意味がないのである。
実はこの意味がないという事自体が映画を読み解くヒントであり、最も意味のある伏線なのだ。
詳しく書くとネタバレになるので避けたいが、少しだけ言うなら、例えば虫を集める妹だが、この歳の子どもが虫に興味をもつことは特段変わったことではない。もっと言えば虫を通して“死”に惹かれるのは至極普通のことなのだ。
アリを踏み潰したり、トンボの羽根を千切る子どもはそこらじゅうにいるじゃないですか。
これがホラーというジャンルに包まれて、なんだかよくわからないけど不穏という状況下だと、途端になにか意味のある行為のように見えてくる。
開かずの部屋だって、父としての弱さを見せたくないというプライド、あとは単純に、危ないから銃などが置いてある部屋に子どもを入れたくないという思いからだというのは察しが付く。
それが不安と恐怖の下では父親がなにか隠しているのではないか、父親は悪魔なのではないかという疑いが生まれる。
そうした極限状態の中でお互いの気持ちがわからぬまま、誤った言動をしてしまい疑心暗鬼に拍車をかけて事態はどんどん最悪な方へ......というが今作では一貫して描かれている 。
こういった感じで、全ての謎に至極真っ当な理由で説明がつくのである。
今作の巧さはそれを観客に悟らせさせないことであり、観客に主人公の不安と恐怖を完璧と言っていいほどに追体験させているのである。
これはこういうことですよとはっきり示されるわけではないので、もちろん「おそらく」でしかないのだが、読み解くヒントは絶対にある。
その上であのラストである。あれはバイロン卿の「暗闇」に対する監督のアンサーなのであり、世界への希望である。
この映画を意味がわからない、内容がないと切り捨てた人の中にジョージ・ゴードン・バイロンを知っていた人はどれだけいるのだろうか。鑑賞後に調べてみた人はどれだけいるのだろうか。