バーニング

アマンダと僕のバーニングのレビュー・感想・評価

アマンダと僕(2018年製作の映画)
3.5
Jaihoでの配信は今日までだったので見た。ミカエル・アースは『サマーフィーリング』が好きだったので見てみたが、『サマー』と似ているのは喪失による傷をいかにして回復するかというテーマであった。しかし今回は大人が主役ではなく、主役はアマンダという少女である。彼女自身、そして彼女を通した周囲の大人たちの回復の道のりが、ゆっくりとした時間の中で描かれていく。
『サマー』は旅に出ることを回復の手段としていたが、この映画は日常生活の中に回復の糸口を見つけるものだった。そのため、普遍的な共感を生みやすい仕掛けになっているように見える。
喪失による傷やショックから回復するための第一歩は現実を受け入れることで、まだ現実を理解することとが難しいアマンダの視点は現実を受け入れることの物理的困難さも描いている。24歳の主人公はまだまだ未熟で、いくつかの小さな仕事を掛け持ちしながら生活をなんとか続けている青年として描かれる。まだ未熟な青年が、ある日突然親がわりになってしまうのは『うさぎドロップ』を思い起こすが、この映画の場合は主人公が無理に親になろうとしないところが逆によかったなと感じる。
戸惑い、苦悩しながらも亡くなった姉の娘のそばにいることはできる。支えることが難しいでも、そばに居続けることはできる。そうしたミクロな実践の積み重ねが、優しい時間の中で(派手なドラマはなく)描かれているのがミカエル・アースの持ち味なのだろう。

http://burningday.livedoor.blog/archives/amanda
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