MasaichiYaguchi

LORO 欲望のイタリアのMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

LORO 欲望のイタリア(2018年製作の映画)
3.7
「グランドフィナーレ」「グレート・ビューティー 追憶のローマ」のパオロ・ソレンティーノ監督が、トニ・セルヴィッロ主演でスキャンダルまみれのイタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニをモデルにブラックな笑いと風刺、刺激的でエロチックな映像を交えて、恰も舞台劇のように描いていく。
スキャンダルまみれの政治家を描いた最近の作品というと「バイス」とか「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」があるが、本作はこのようなハリウッド映画とは趣が違う。
それはハリウッド映画は、隠匿された悪事を白日の下に晒して糾弾したのに対し、ベルルスコーニは“確信犯”的にセックススキャンダルや差別的ジョークで騒動を起こし、マフィアとの癒着、職権乱用等を政治権力とカネでやりたい放題やっていて、その桁外れの本能のまま生きる姿を、本作では光と影で浮き彫りにする。
こんな“怪物”のような人物なのに、一端は政敵に失脚させられながらも策を弄して返り咲き、9年に亘って首相を務めたということは、何やかや言われながらも国民に支持されていると思う。
それは近年台頭しているポピュリズムと無縁ではない。
現に映画でも、ベルルスコーニをスターの如く持て囃す人々が多数登場する。
人間の欲望には底がないのか、欲しいものは全て手にしたように見えるベルルスコーニだが、張り付いたような営業スマイルを常にしている彼の心は満たされていない。
人は何かを手にしたら、何かを失っていくものだと思う。
本作では描かれていないが、政治家に成り立ての頃に抱いていた青雲の志だって彼にもあった筈だ。
そして彼を応援、アシストする愛する妻の存在だって大きかったと思う。
そういった大切なものを、人はいつの間にか忘れてしまう。
映画は、夢や理想、それらと現実との乖離、そして大衆が求めるもの、抱くものとの乖離、そういった失望感、諦念を彼に滲ませる。
そしてカトリックが盛んなイタリアらしく、神の存在を終盤で起きる驚天動地の事態の中でクローズアップさせ、ベルルスコーニのいる欲と業にまみれた俗の世界と神の聖の世界を対比させているように感じた。