デヒ

ウエスト・サイド・ストーリーのデヒのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

1961年製作の古典名作『ウエスト·サイド·ストーリー』を21世紀の進んだ技術を活かし、名監督スティーヴン·スピルバーグ監督の演出でリメイクした作品。

全体的な流れと音楽は原作通りに進んでいるが、スティーブン·スピルバーグ監督ならではの演出や解釈が反映されている。例えば、トニーが働く店の主人が白人のおじいさんではなく、プエトリコのおばあさんだという点。それも白人と結婚した過去があり、トニーの実の祖母という点などがそうだ。おかげでトニーが愛するマリアに言う言葉をスペイン語で教える場面が追加された。
このおばあさんの話だが、1961年版の映画でベルナルドの彼女であるアニタ役を演じたようだ。本作でこのおばあさん(バレンティーナ)は、ジェッツとシャークスを仲裁する境界人ということで大変重要な人物であり、表現したことは面白くて良い試みだと思うが、あえて言えば、スティーブン·スピルバーグ監督が原作への貢献を表すためにこのバレンティーナというキャラクターを新たに創造したのではないかと思う。ただし、必然的だったのかな。単純な消耗キャラクターで、魅力をよく出せなかったという気がした。映画を観ながら2021年公開の映画である『インザ·ハイツ』が思い浮かんだが、白人社会のアメリカで暮らすプエトリコ移住民の後世代たちの話である。『ウエスト·サイド·ストーリー』の現代版とも言われている。その作品には主人公ウスナビの実の祖母が出てくるが、「Paciencia Y Fe」という独白のような歌を通して祖母の過去を描いたからこそ、彼女の言葉が心から感じられる。ただ、今作ではこうした背景情報が伝わらない状態でトニーと子供たちにアドバイスをするからミュージカル映画のクリシェにしか感じられず、印象が少なかったと思う。

私は1961年版の映画を初めて観たとき、ショックを受けていた。音楽も俳優たちの姿と演技も、動きを映す撮影とロケも、編集も、ストーリー構成もすべてを取り仕切った監督の演出も…。とても良くて戦慄が流れた。
映画を初めて観てから長い時間が経ったにもかかわらず、すべての場面を生々しく覚えている。そんな状態でスティーブン·スピルバーグ監督バージョンの映画を観たことだ。それだけでも楽しむことはできたし、本当にすごかった。カットの構成も面白かった。 だが、私にとっては原作を飛び越えることができない。本作は21世紀の長所を活用しただけに、現代社会を生きる多くの人々から共感を得ることができると思うが、私は原作の方がもっと重みをもって近付いてきた。プエトリコ移住民問題も。
プエトリコ移住民は貧困な生活から抜け出し、繁栄と自由を夢見て米国に移住、一生懸命暮らしている。しかし白人にとっては目の敵。憎み合う分際でこの移住民問題は、同じミュージカル映画である『イン·ザ·ハイツ』のように現代社会でも続いている。
ベルナルドの考えも理解できる。多くの白人は移住民に偏見を持っていたからだ。その偏見は、事実に基づいた過去があるから堅固になっていくしかなかったのだ。トニーとマリアの関係は、白人とプエトリコ移住民だけの問題ではない。本作ではその時代状況を描いているが、この問題は現代でも世界各国でも続いている。今すぐ政治家たちの間の韓日関係だけを見てもそうではないか。

先に話したように、衣装だった撮影だった音響技術が「大ヒット」だった。 オープニングから違うスピーカーのチャンネルから聞こえてくる音響に鳥肌が立った。ドルビー·アトモスで体験すれば、さらに鳥肌が立つだろう。ロケも素晴らしい。実際にニューヨークの通りをシャットダウンして撮ったんじゃないか。スティーブン·スピルバーグ監督だけの力量と色をよく見せてくれたと思う。
『ウエスト·サイド·ストーリー』に入門しようとする人は、スティーブン·スピルバーグ監督の作品を先に観てから原作を観るのが入りやすいと思う。

*本作には原作と違う場面がかなりある。*
①  「Gee, Officer Krupke(クラプキ巡査どの)」という曲は、原作ではトニーが働く食料品店の前でジェッツの子供たちが警官を いじりながら歌う曲だが、今作では警察署の中で調べられた子供たちが警官がいない隙を狙って物真似をしながら歌う場面に変更されている。様々な小道具を使う動作と空間を利用した派手なカメラワークが面白かった。
② トニーとマリアの結婚式シーンを再現するような場面。原作ではマリアの家のクローゼットで母親の服を頭にかぶって結婚式のような雰囲気を演出するが、今回の作品ではトニーとマリアが初デートとしてある美術館に行き、聖母マリア像の前でステンドグラスの色とりどりの光を活用して結婚式場のような雰囲気を作り上げた。ユニークな演出だったが、私は原作がもっと狭い空間であるだけに大したことない空間だが愛が一杯であると同時にその二人だけの空間であることが感じられてもっと切なく近寄った。美術館は何か人為的な感じがして残念だった。今作が1960年代のアメリカを時代背景にしているに違いないが、突然現代的な背景に乖離が生じて混乱した。
③ マリアはただの学生だったが、今作では職業ができた。 清掃労働者。原作ではチノがマリアの家で兄ベルナドの死を告げるが、今作では仕事を終えたあと帰り道で知らせる。
④ 最後の場面も少し違った。トニーの死後のマリアとその友人たちの行動。原作では派閥とマリアが中心だったとすれば、今作ではトニーのお婆さんのバレンティーナの役割が大きい。
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