Foufou

テッド・バンディのFoufouのレビュー・感想・評価

テッド・バンディ(2019年製作の映画)
1.5
米国発の最も有名なシリアルキラーでしょう。ことの猟奇性もさることながら、女性受けするルックスに加え、裁判では自らの弁護を買って出るなど、彼ほど劇場型と呼ぶにふさわしい人物もいないのではないか。映画化は、ですから、なにも今作が初めてではございません。

テッド・バンディの最後の恋人(獄中結婚した人ではなく)となった人物の手記を元にしているよう。その人物からすると、テッドはどこまでも紳士的で優しい男性だった、と。で、我々もまた冒頭からその女性の視線を通じて彼を見ることになるから、ひょっとして冤罪という方向で話を進めるのかな、と思ってしまう。思ってしまう、と書いたのは、随所随所に「やっとるな」と匂わせるシーンが挟まるからであり、最後の恋人の視点をカメラが徹底しなかったことが、この映画の失敗を決定づけているように思う。

おまえ、やっぱ、やっとんたんか! と恋人の気づく瞬間こそ、映画の見せどころではないのか。ところが、じつはテッドを警察に通報したのは自分だ、という恋人の告白こそ、一つの山場を形成するのですが、その気づきは、新聞に掲載された不審者の似顔絵を見だからで、彼に似ているから通報したと恋人は言うのだけれど、あんなに純粋に愛し合っていたのに、なぜ? と問わざるを得ない。疑惑に足る伏線があるならまだしも、いわゆるリア充の只中にあって、なんの気なしに通報したことが大ごとになった、と。それで彼を苦しめることになってしまった…と涙ながらに友人に打ち明けるに至っては、ちょっと耳を疑う事態。

テッド・バンディは10年収監された挙句、電気椅子にかけられます。無罪を主張し続けた彼が、死刑になる直前で自供し始めたのは、姑息な延命処置に過ぎないと映画でも語られます。で、死刑になる直前ですね、知らせを受けた元恋人は、決然と彼の元へ向かう。ガラス越しの対決です。あいもかわらずテッドは彼女の前ではとても優しく礼儀正しい。まっとうな人間になれる唯一の相手だったのかもしれません。テッドはやっと会うことのできた愛する人に、またもや冤罪を主張する。彼女は怒りと悲しみにやつれた顔をして聞いています。やおら彼女は懐中から茶封筒を取り出します。表に「極秘資料」の刻印がある。これは10年前にテッドが脱獄した際に、刑事から目を覚ますよう促されて渡されたもの。その中身をガラス越しに突きつけて言うんですね。
「首は? 首はどうしたの?What happened to her head?」
そして次の瞬間、半裸の首なし死体の写真をカメラはとらえる。おそらくは被害者のホンモノの写真でしょう。すると、虚をつかれたテッドは、二人の熱気のせいで曇ったガラスに、「弓のこhacksaw 」と指で記す…。

なんだか、わかるような、わからないような演出。テッドの無罪をどこかで信じている恋人からすれば、たしかに彼自身の口から「やった」と聞けば、衝撃は衝撃として、過去からの解放につながるだろう。しかしだからといって、首なし死体を突きつけて、「首をどうした?」と迫るだろうか。弓のこにしても、弓のこが映画のどこかで伏線として登場しているならともかく、唐突過ぎて、道具のみに言及することの生々しさがまったく生きていない…。

まぁ、中途半端な作品です。人の「怖さ」を映画的にどう表現するか、作り手なら嬉々として臨むところのはずが、そうしたところは抑制して、普通の人の面をこそ活写しようとする。

うーん。

1974年から1978年にかけて7つの州で30人以上を殺したとされる、とはWiki情報。そんな鬼畜にも純粋に愛を吐露した一瞬があったのだ、と言いたいのであれば、それを言うことの意味はなんなんだろう。誰得、というやつ。

いずれにせよ、作り手がテッド・バンディに惹かれているのはたしか。ただその惹かれ方が、ようわからん、となる映画なのでした。
Foufou

Foufou