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キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのatsushiのレビュー・感想・評価

4.0
地底から噴出した黒光りする石油。降り注ぐ石油を頭から浴びながらオーセージ族が舞い踊る。ロビー・ロバートソン書き下ろし、その名も『Osage Oil Boom』がまるで、これから始まる未知の映画体験に心踊る我々観客の鼓動の如く、劇場内を響かせる。スコセッシ作品史上最もエネルギッシュなシーンで幕が開く。後に起こるオーセージ族の残酷な顛末を予見させる石油のドス黒いクロ。この映画のルックを決定づける、これ以上ない幕開けだ。

物語はレオナルド・ディカプリオ演じる主人公アーネストがロバート・デ・ニーロ演じる伯父に再会するところから始まる。WW1帰還兵のアーネストと伯父の熱い抱擁は映画ファンなら誰もが待ち望んだ光景かもしれない。1973年『ミーンストリート』から20年に亘りスコセッシとタッグを組んできたデ・ニーロと2001年『ギャング・オブ・ニューヨーク』を皮切りに次々とスコセッシ作品の主演を張ってきたディカプリオ。映画史史上稀に見る豪華すぎる三角関係のようやくの合流地点として今作は記念碑的作品でもある。

近年のディカプリオの役柄は、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』での主人公リックに象徴されるように、情け無いがどこか気の置けない男の役が多い、しかもどれもハマり役だ。今作のアーネストもまた妻にも伯父にも頭の上がらない、言いなりの男である。今作はディカプリオがプロデューサーも勤めていることから、ディカプリオ自身の意向を感じてならない。彼自身が演じたい役だったということなのか、ハマり役という自覚があるのか、いずれにしてもセルフプロデュースの的確さは流石としか言いようがない。

"嵐には力があるから、静かにするの"

オーセージ族の娘モーリーのこの台詞で、しばし映画館は静寂に包まれる。言わずもがな、これはオーセージ族の精神と、白人による搾取に対する彼女の姿勢を表している。あまりにも残酷な台詞だ。本作のエンドロールは劇映画としては珍しく、激しい雨風の音のみが流れる。どうしてもここで左記の台詞が頭をよぎる。これは余談だが、まるでエンドクレジットまで静かに観るようにというスコセッシからのメッセージのようだった。

ちなみにラストショットは、オーセージ族を俯瞰ショットで捉えた美しい画だが、もしかするとこれはスコセッシが影響を公言しているアリ・アスターの『ミッドサマー』に起因しているかもしれない。

齢80にして、スコセッシはどこへ向かっているのだろうか。前作『アイリッシュマン』はフランク・シーランによるジミー・ホッファ失踪事件の述懐であった。今作のラストシークエンス、意外すぎるカメオ出演、彼の語りによって幕は閉じる。これまでアイルランド系・イタリア系移民を主軸に描いてきたスコセッシが、先住民を虐げてきた白人の罪・加害者性を自己言及している風にも捉えられる。そうすると今作はスコセッシによる罪の告白なのか。スコセッシは映画館でこそ懺悔する。ということだろうか。

2023/10/20 1回目 Dolby cinema
【2023年109本目】
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