阪本嘉一好子

轢き殺された羊の阪本嘉一好子のネタバレレビュー・内容・結末

轢き殺された羊(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

好きな映画だ。なぜかというとジンパとジンパの将来が見えるから。
トラックの運転手であるジンパ(Jinpa)は可可西里(Kekexili)というチベットの高原まで荷物をとどける仕事をしている。Qinghaiというチベットのハイウエイを走っているシーンが長いが、ここで貴重な会話をもたらす。海抜5500メートルの不毛な冬は零下二十度にもなるような土地を走っていく。(字幕で説明されているので地形が飲み込めた。ありがたい。)このハイウエーで止まり、『立ちション』をするが、驚いたことに風が強いし、視界もよく
なく運転しにくそう。でも多分慣れている道だと思っていたら、ここで、羊をひいてしまう。通りすがりの車はなく、人もいない地域だから、羊の処分に途方にくれてると思って観ていると、ジンパは血の流れ出る羊を助手席に乗せる。題のように轢き殺された羊になるわけだが、果たしてこれを監督が主題として言いたいのかなあと思っている。

ジンパは『オーソレミヨ』を聴きながら運転をするが、これだけ天候も悪いから、『太陽』をみたいだろう。と単純に考えていたら、、、ところが?

途中で彼は一人の青年(Genden Phuntsok )を乗せてあげる。どうもヒッチハイクのように見えないが、シンパが止まって乗せたようだ。やさしいね。羊を荷台に移し、彼を乗せてオーソレミヨを聞かせるが、青年はまるで興味がないようで、一人の男をを殺しにSanakへ行くと。二十年前に父が殺され、この男を殺す機会を十年も待っていたらしい。この男の名前もシンパでチベット僧にもらったと。(シンパ2と呼ぼう)シンパ2は女の子の写真をみて誰かと聞く?父子家庭で子供の母親は死んだと説明。オオソレミヨの太陽は娘のことだと。荒々しいと思ったけどシンパの娘に対する愛に私は、『この人繊細かもね』と感じ始めた。
それから、シンパ2をSanak で下ろすが、ありがとうとも言わない。チベット映画でありがとうという言葉を聞かないんだよね。不思議!

肉屋で値段を聞き、寺に行ってからもどって来るよと。(戻ってきたときはその肉はない)シンパは約束通り戻ってきたのに。この辺から、シンパの性格に好感を持っていく私。
寺の僧に羊を供養してもらい、お金も払う。それに、羊を食べるのかと思いきや、人間と同様に、鳥葬するために、山のてっぺんに(墓場)手間賃をあげて運んでもらう。輪廻転生を考えてるから大切に扱うのかもね。ここで、羊のソウルを次の生のステージにもって行けるように祈ってと言っている。
羊を殺生したことによる罪を僧より深く考えているようでもある(?)。
肉を手土産にガールフレンドの家に行くがシンパ2がきになるのかとどまる様子もない。Sanakの飲み屋に行きシンパ2の消息を訪ねて場所を突き止める。雑貨屋の主人が殺すべき男だとわかる。主人に会って警告をするとシンパ2はすでに来て去ったと。シンパはシンパ2に殺人という悪業から逃れ、徳を積ませたいから彼を救いにきたんだと思うけど、なぜ、シンパ2が父親の仇をうつことを諦めたのか? あくまでも主観だが、雑貨屋の主人の娘だと思った。シンパ2はシンパの車に飾ってある写真も気になって『誰?』と聞いている。主人の娘を自分のように、父親なし子にしたくなかったと思う。きっと、シンパ2の父親が殺されたとき、彼もこの娘のような歳だったと思う。それに、また、自分も殺される立場となる悪循環を避けたのかもしれない。

最後が圧巻:
シンパは帰り道脱輪したのに気づき、車を降りる。『パンクか。羊を殺さなくて良かった』と思ったろう。タイヤを直して、帰路に向かうが、そこに『太陽』が顔を出す。彼は、サングラスを外して、目を太陽に。待っている自分の娘を見るように。

蛇足:
何作かチベットの映画を見ているが、チベット語があまり快く感じない。馴染み深くない言語のせいか、なぜかわからない。それに、この映画はDVDで観たが、後半からヴィデオが勝手にスキップするようになり、大切なシーンを見逃していると思う。特に最後の、チベットの格言を字幕で表していたが、全く読めなかった。なんて書いてあるか知りたい。