SatoshiFujiwara

良き隣人の変節のSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

良き隣人の変節(2002年製作の映画)
3.5
ランズマンの『ソビブル、1943年10月14日午後4時』(と『ショアー』)同様過去のアウシュヴィッツなどの強制/絶滅収容所の記録映像を用いない姿勢は徹底しているが、ランズマンは記録映像は用いないと言ってもそれをエクスキューズにして随分と突っ込んだ質問をしたり倫理的にそれは聞いちゃ駄目だろうということすら聞いてしまっているから、その執念には平服するがちょっとやり過ぎ感は否めない。

対して本作の場合、記録映像を用いると「それは実際の映像だ」って時点で思考がそこに留まってしまうことを避けるためだろう(ドラマとかでもいますよね、「これは実話です」って文句に弱い人が。実話ってのとそのドラマなりが良く出来てるのかは勿論別の話です)。審美性と言うと少し違うかも知れないが、ネストラーは直接的言及を避ける。ソビブルの生還者であるトイヴィさんはさり気なく淡々と衝撃的な事実を述べるが、それは結果として事実をドラマタイズしないネストラーの方向性と合致する。

しかし、途中で映画自体を相対化するように出てくる精神分析医イグラさんの言ってることは、心情的には分かるし正論だけど、「良きことを為す」結果の現象論的な考察がなくていささかナイーヴな結論になってはいまいか。本作もこれに沿った落としどころに落ち着いている感。これと合わせ鏡のような話だが、アイヒマンはあくまで自分の職責を果たしただけだというロジックを持っていた訳で、話はそう簡単ではない。
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