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機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのKEiGOのレビュー・感想・評価

4.5
どうして僕たちはこの男に魅了されるのか?
その答えを求めて宇宙へ。
そして地球へ。

はい!
やっとたどり着きました…念願の『逆シャア』。
高校の頃から観たい観たいと思い続け早10年。
「なんとしても1話も欠けることなく『逆シャア』にたどり着きたい…!」という思いだけは変わらず、幾度と『ゼータ』で挫折したことか…笑(今回は止まることなく逆シャアチャレンジ成功したよ、団長。)

なぜここまで観ることができたか。
それは冒頭の通り、僕が”シャア”という男の重力の井戸に落ちてしまったから。
「どうしてもこの男のことをもっと知りたい…!なんでこんなに魅力的なんだ…!!!」
その答えを求めて探検隊はジャングルの奥地へ(違う)。

繰り返しますが、僕は『ガンダム』シリーズ、特に『ファースト』『ゼータ』『ダブルゼータ』『逆シャア』はロボットアニメだと思っていません。これは愛憎劇であり、メロドラマ。ロボットは飾りですよ、と思っています(過激派)。
もちろんモビルスーツも大好きですよ…!
BB戦士 三国伝を50体近く持ってた(盛ってなくまじでこれくらい持ってた)のは伊達じゃない…!

それでもアムロとシャアにまつわる物語は愛憎劇がメインディッシュだと思うのです。


そういう意味で本作の完成度は高かった。
この映画は単発で成立する作品ではないので、『ファースト』から脈々と続いてきた歴史の終着点として考えてほしい(もちろん宇宙世紀はまだまだ続きますが)。
戦争とメロドラマと子供たちと、、すべてがこの映画に詰まっていました。



ここで本作を観終わったばかりの私とガンダム好きな友人とのLINEを転載。

私「宇宙世紀ロス泣」

友人「とうとう観たか…」
友人「ちなみに、今作のシャアはどうだった?」

私「シャアは賢すぎたし、いろいろなことが分かりすぎた故に、こう行動せざるを得なかったのかなと。」
私「彼が選んだ道には賛同できないものの、ひとりの人間として弱さや脆さに抗おうとするキャラクターだからこそ、魅力的なんだなとも思いました。」

友人「シャアはニュータイプ的な素養もありつつ、それ以上に頭で考えるタイプの人なんだろうな」
友人「色々と理想主義的で、それが強弱表裏一体というか…
アムロと万全な状態で戦おうとして負ける、みたいなことになっちゃうというか…」

私「ザビ家への復讐からニュータイプへの執着にモチベーションが変わった辺りから、シャアはずっと自分探しの旅をしてるんだと思うんだよねー。居場所を探してるくせに定住できないタチだね。」

私「あ、わかった。」
私「俺はシャアのことを理想主義者だとは思ってないんだ…!
理想主義を掲げ続けたものの人間の醜いエゴに愛想が尽きて、それなら諸共滅びてしまえと現実的な解決策の中で最低の手段を選んでしまっただけ(だけ?笑)と思ってる。
むしろニュータイプもオールドタイプも皆分かり合えるんだと言い続けたアムロの方が、俺にとっては理想論に感じちゃうんだよね。
もちろん、アムロが正論だし、俺もそう信じてるけど笑
〇〇はどう思う?」

友人「朝読むには難しい問いかけきたな…笑」
友人「結局シャアが信じれなかった人の力的なもの(逆シャアラストシーン)も、火事場力みたいにならないと出てこないしな…(逆シャアラストシーンの力は抽象的な力というよりは具体的なエネルギーだけど…笑)」
友人「理想主義のなれ果てとも言えそう笑」

私「そもそもシャアに理想があったのは1年戦争後からグリプス戦役の間だけな気もする。要はクワトロ期間か笑 逆シャアの時は政治信条的な部分は完全に道化だったし笑」
私「ミライさんの言う通り純粋すぎたのかもしれない。常に正しいことを主張してきた気もする。
父の死の真相、ザビ家の腐敗、地球連邦の腐敗、格差や差別で分断された人類への粛清。
〇〇の言う通り、それでもまだ人を信じられるかどうかがアムロとシャアの決定的な違いだよね。(アムロは地球にいる自身の子供を守りたかっただけで、しかしそこがシャアとの分岐になったと言っている人もいる)」
私「極論、シャアは自分に自信がない人だと思うんです。
聡明で、仕事もでき、容姿も良く、他人の気持ちを理解することもでき、何よりニュータイプ。本質的にはやさしい人なんですよ。
しかしやさしすぎた、純粋すぎたからこそ、レコアやハマーン、クェスの気持ちに応える"自信"がなかったわけだし、道化と自覚しながらも政治家として民を導く"自信"もなかった。
じゃあなぜそうなのかってのを考えると、それは生い立ちに起因していて、父の死ではなく、母との別離。これが強烈なコンプレックスになっている。キャラクターの背景を深く掘った結果がジオリジンなんじゃないかなぁ。
その母を彼女の中に見たからこそララァへの執着は人一倍。しかし彼女もアムロとの戦闘の最中失ってしまう。結果的にアムロに執着せざるを得なくなったわけですが、根本的には母の存在があると私は思うのです。」

(中略)

私「あ、もう一個忘れないうちに言葉にしておきたいことは、レコアとナナイの違いだよね。
前述の通り、シャアは母性を求めている。自分が愛されることを望んだレコアと、地位や権力に目がくらんでいるもののシャアを愛し続けたナナイは根本的に異なる。
端的に言うと、レコアは性格的にシャアのタイプではなかった…笑
(その意味ではハマーンもシャアのタイプではなかったと言える)
そして、劇中で揶揄されているようにロリコンとの批判も目立つが、これもやや的外れに感じる。シャアは少女嗜好ではなく、ありのままの自分をただ受けとめてくれる存在を求めている。そして恐らく彼自身の中でそこに年齢によるフィルタはない。だからララァは充分母に成り得る存在だったんだろう。
クェスにもその気質が見られたから「行くかい?」したけど笑、アムロの言う通りクェスは父性を求めていたから本質的にシャアの欲求を満たせない。だから捨てられた。しかし、ある意味クェスはキャスバルの少女版だったかもしれないね。」



いやはや私の長文LINEに付き合ってくれる彼には感謝しかないです笑
おかげで自分の中のシャア像を言葉にすることができました。

シャアは何事も卒なくこなし、容姿も端麗、人の心を推し量ることもできる。
完璧に見えますが、復讐、革命、恋愛、進化…すべてが上手くいっていたかというと実はそんなこともない。
それは本質的に自分自身への疑念、自信のなさがあるから。
これは幼少期の性格形成に起因しており、”母”に関するコンプレックスが効いている。
この強さと脆さがかえってシャアという人間の魅力を増しているのです。

やっと言葉にできた、嬉しい!笑
結構いろいろな書籍[1,2]やブログを読んだのですが、本質的なシャアの考察をしている文献を見つけることができず、一人で憤っていたので笑

「わかる!シャアってそうだよね!」も「俺が思うシャア像は少し違う!」でもなんでもコメントください。
みんなのシャア像、とっても気になります。


いやはや『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のレビューにも関わらず、すっかりシャアの人物考察になってしまいました。


さぁて、シャアの行く末を見届けたなら、その生い立ちもクローズアップする必要がありますね。
そう、次は『THE ORIGIN』。
見届けるさ、彼の人生を。



参考
[1] 株式会社レッカ社, "語ろうシャア!"
[2] ぴあむMOOK, "機動戦士ガンダム シャア・アズナブル×ぴあ[完全版]", 2020
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