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地獄のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

地獄(1960年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

仏教系の大学に通う清水四郎は、恩師の教授の一人娘・幸子と婚約していたが、謎めいた笑みを浮かべる同窓の田村がしつこくつきまとってくるため、彼の誘惑から逃れようとして、自分の意志とは裏腹に次々と罪を重ねていく…。

醜い人間たちを冷淡な視点で描く前半、当然の報いだと地獄に堕ちた人間が受ける責め苦を描いた後半。
「悪いことをしたら地獄へ堕ちる」という教訓を思い起こさせる怪奇映画の秀作。
教育映画としても最適である。

同乗した田村の車が酔っ払いを轢き殺し、また自分の運転で幸子を自動車事故で亡くしてしまった四郎は酒に溺れる。
母危篤の報に実家へ戻るが、田村に加えて、轢き逃げされた男・志賀の情婦が復讐しようと後を追ってきた。
四郎は吊り橋でもみ合っているうちに2人を橋から落とし、殺害してしまう。

その晩、四郎の父が経営する老人ホーム「天上園」の創立十周年記念パーティーで、予算をケチって腐った魚を使用した料理で集団食中毒が発生し、入所者が全員死亡。
更に復讐に来た志賀の母が酒に毒を盛ったため、四郎を含めた全ての人間が死亡。

死の間際、四郎は幸子の霊から彼女が四郎の子を身籠っていたこと、その子も水子になって地獄へ落ちていることを告げられ、我が子を見つけるべく地獄を彷徨っていく。

登場人物の中で、主人公は自ら進んで罪を犯さず、たまたま事故や犯罪に巻き込まれる不運な男に見える。
しかし、轢き逃げの罪の隠蔽、婚約者を事故で死なせ、田村と志賀の女を死なせた過失と、防ごうと思えばできたことばかり。
前半部は長く感じられるが、実はしっかりとした教訓がある。
誘惑に負けたり「自分のせいではない」と罪悪感を持たずにしらばっくれることも立派な罪だと本作(特に劇中の閻魔大王)は訴える。
さらには仏教大学の生徒でありながら、仏教の教えに反して、婚前の性行為や飲酒すら快楽の罪だと言う。
仏教の教えはキリスト教よりも実は遥かに厳しいのだ。

日本古来の伝承に「ファウスト」のメフィストフェレスのような友人・田村の悪の誘惑と、登場人物全員が地獄へ堕ちてからダンテの「神曲」における地獄の階層巡りに似た西洋的なイメージをも取り入れた構成は素晴らしい。

閻魔大王によって次々と暴かれていく人々の罪状と、その結果として数々の責め苦が続くのが後半の見せ場だが、古い映画ゆえ特撮による映像表現が今ではチープなお化け屋敷に見えてしまうのが残念。

しかし、かなりえげつない地獄の伝承の再現性。
個人的には昭和の子どもの頃の昔話、寺の住職や祖父母から聞かされた地獄そのままで驚いた。
公開当時の観客を驚かせ、人々の罪悪感を呼び起こしただろうことは容易に想像がつく。

見世物小屋のような大袈裟な地獄と、人間の罪悪感を描く中川監督の演出。
強烈なインパクトを持った怪奇映画である。
「悪いことをしたら地獄へ堕ちる」
凶悪犯罪防止のため、ぜひ子どものうちに見せてほしい映画である。(笑)
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