このレビューはネタバレを含みます
先に言っておくと、わたしは決して電通がキライなわけではない。尊敬する師も友人も、世の中とブランドをブリッジさせるための素晴らしいコミュニケーションを作っているし、なにより彼らの姿勢はとても真似しようと思ってもできるものじゃない。その前提で聞いてほしい。わたしは、この映画が好きではない。
今回はきっと、大人の色々があったんだろう。だから何がイヤだったのか、きちんと書こうと思う。一番思ったのは、ご都合主義が全面に出ていたところだ。
都合のいい言葉を並べて子供たちに読ませたり、斬新な魅せ方を勘違いしたり、語らずしも語る意味を蔑ろにしてしまったり、起こった出来事の意味をオフナレですべて説明してしまったり。ご都合主義ととられても仕方ない作り方に正直、悲しくなった。CMのようだというレビューも見かけるが、CMというのはそもそももっと「戦略的な15秒」だ。そこに仕掛けがある(テレビで流れる大半は駄作と言われているが)。だが、この映画にはそれがない。故にCMとも言えない。
とどめを刺したのは、赤ちゃんが生まれる瞬間のシーンをドキュメントタッチで織り交ぜたこと。あんなに安易に使うことを憚れるポジティブの象徴をそれまで散々描いてきた虚構の世界にぶち込んでしまった。嘘を軸にストーリー展開するなら、最後まで嘘で貫くべきだ。究極のリアルが飛び込んできた瞬間、これまでの意味合いがゼロになる。一体、どんなテンションやスタンスで観ればいいのか、最後までわからなかった。
極めつけは、収拾がつかなくなった挙げ句に"なんかいい感じ"の草原で締めたこと。乱暴な持っていき方で"いいこと言おうとしてる感"を出すのは、映画カルチャーへの冒涜にもとれた。
そもそも、親を亡くした子供たちが感情を無くしているという設定なのに、温度のない言葉を棒読みする一方で急に詩的な言葉を話し、饒舌になる時点でキャラが破壊している。大人の作為によって彩られた映画であり、とても多感な中学生のために作ったとは思えなかった。