前半、昔の仲間との悪事自慢、警視庁の人のあの頃はよかった的な話に辟易するけれど。
後半、アメリカの刑務所でチカーノになりあたりから、引き込まれた。
この人の落ち着きはなんなのだろうと。
帰国後、そのチカーノたちの家族的な結束に影響を受けてはじめた、子どもたちのためのカウンセリングや場づくりは、多くあるNPOとは少し違う雰囲気だ。
パチンコ中毒の親が、自分が酒飲んでパチンコするあいだ便利に子どもを預けているだけだとしても、それでストレス発散になって子どもが虐待されなくなるならそれでいい。
それは問題の根源を断ち切らない対症療法かもしれないが、それでいいと。
自分のような思いをする子どもはいてほしくない。
あまり自分の辛かった経験を語らないなかで、その一言には切迫感があるように感じた。
少しだけでてきたお母さんの言動は、側から見てもおかしいかんじなのだけど、それについて多くは語らない。
服役時代、英語を話せないのに面会に来てくれたというチカーノのお母さんへの感謝も静かだ。
その落ち着きが、人を惹きつけるのか。
そういう演出なのか。
わからないけれど、説得力があった。