風味や

行き止まりの世界に生まれての風味やのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

スケボーで街を走ることは、クソみたいな社会・クソみたいな自分に抵抗するための手段であり、それをやっている間だけ無我夢中になれるものだ、というキアーの実感に心を打たれた。

スケボーをしている昔の映像と、今の映像が続けて流すことで、スケボー仲間たちの関係の変化・環境の変化を鮮やかに映し出す。昔の映像は、そんな効果を狙って撮られた映像ではないというところも良い。

ビンが、自分の生い立ちについて自分の中でどう折り合いをつければいいかと模索していく中で、キアーを自分に、ザックを暴力を振るってきた継父に重ね合わせていたのが印象的だった。
ニナやビンの母親の暴力に耐えてしまうこと、でもどうしたらいいか分からないこと。黒人であるということはどういうことか。映画の中で顕れるgapが何重に複雑に絡まり合っていて、それは容易に切り離せるものではない。それでもなお、新たに関係を作っていくことができるという希望をこの映画は見せてくれた。

私も、それをしているときは自分を忘れられるというものを見つけたい。それが現実逃避であったとしても。
風味や

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