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スウィング・キッズのakqnyのレビュー・感想・評価

スウィング・キッズ(2018年製作の映画)
5.0
世界の複雑さについて語る時、我々の語ることは時に空虚だと思う。思想、人種、言語、宗教、性別、経済力…それらを前に語る言葉は必ずどこかに諦めを含むのだから。そう考えると言葉というのは全能ではない。

同じように芸術や音楽、ダンスといった表現も全能ではない。表現には前提がつきまとうから。
たとえば富士山の絵があったとして、我々はその絵を見てただの山とは思わないだろう。見る側は山の絵から富士山の絵であることを理解するために「日本の一番高い山」であり「信仰や芸術の対象」という前提を共有してはじめて特別な山として認識する。
同じようにタップダンスやジャズにも「アメリカの踊り」や「黒人奴隷の音楽」という前提がある。我々は時に、表現に前提を意識してしまうからこそ、複雑さは拭えない。

それでも芸術や音楽、ダンスといった表現の可能性は、その前提を超えた先にあるのではと、この映画を通して思えた。

妻を探して謝って捕縛された民間人、親を無くし家族を養うためにお金を稼ぐしかない慰安婦、中国軍捕虜、北の英雄の弟、黒人の元ブロードウェイダンサー。
世界の複雑さに翻弄されたスウィング(揺れ動く)キッズはf*cking ideologyと叫びながら夢中でスウィングジャズに合わせてタップダンスを踊る。
はじめは「共産主義国の捕虜が資本主義国の音楽でダンスを踊る」という前提があるのだが、彼らの表現は次第にその前提をぶち壊し、そこには戦争も立場も忘れた、言葉を介さないコミュニケーションがあった。ただそこに表現の塊があり、その塊にじかに見て触れている間は、なにも前提を意識することがないシンプルなまでの時間や空間があった。


ミュージカル特有の現実にフィクションが入り混ざることで、複雑な世界がシンプルになる。その瞬間の美しさと、それを容赦なく打ち砕く戦争という現実の残酷さのバランスが見事な作品だと思う。



「汚れた血」のドニ・ラヴァンが夜の街を疾走するシーンのオマージュで、主人公たちがデイビッドボウイのModern Loveで疾走するシーンが良かったなあ。
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