zhenli13

王国(あるいはその家について)のzhenli13のレビュー・感想・評価

3.9
プロットだけ聞くと結構好きかもしれないと思った。普通の映画としても十分成立するはずだが、じゃあ普通の映画って、映画として成立する条件って何なんだと。監督は「映像作品」にするつもりだったとのことだが、映像作品と映画の違いも何なんだろう。
美術館にかかるインスタレーションとしての映像作品は、映画とは思わずに観る。美術作家(というかスタートが美術から入っている作家)の作る「映像作品」を映画として観ることはほとんど無いように思う(アピチャッポンは稀な例外では)。実験映画は実験映画だし、ビデオアートはビデオアートだと思って観る。映画出身の作家(監督)の作る「映像作品」はたとえどんなに実験性が強くても、どこまでも映画だ。あくまで私見。

草野なつか監督の作品を初めて観たのだけど、本作はすごく演劇的なアプローチだなと、こういう演劇はあるよなと単純に思った。演劇と違うところと言えば、本作が「劇映画」(そうだ「普通の映画」と言うとき、そういう名称がある)として完成したら採用されるに違いないロケーションのショットがインサートされることか。舞台は『下妻物語』と同地域なので一両編成のワンマン電車は見覚えある。これらのショットは、我々観客が頭の中でそれぞれ想像する「劇映画」を構成するレイヤーとなる。

映画になる前の本読み、エチュード的なシーンの繰り返し(繰り返しではあるが明らかに同じ時間ではない)が延々とあり、シーンごとに時系列がばらばらに提示される。本作はメタ視点での映画であるとはいえメタ的なメイキング映画でもなく勿論ドキュメンタリーでもない。台詞を喋ること、ほとんど顔のアップ、きわめて限局的に映される身体やコップなどのきわめて少ない小道具だけで進行し、場はおそらくどこかのホールの稽古部屋(一度だけロケ地に役者が入って演技するシーンがある)と、時々インサートされるロケーションは場というよりモンタージュである。
後半に、シーン番号とシーン名が画面外から聴こえ、俳優三人がテーブルを囲んでシナリオのト書き部分は黙読で、台詞だけ喋るシーンが随分と長く続く。ここは結構しんどい。
全編通して、はっきり言って画として面白いところは非常に少ない。寧ろ目つむって台詞聞いてるだけでも追えるには追える。しかしこれだけ台詞だけで押し通されると普段なら腹立つところがそうならない。台詞ばかりなのに目が離せずサスペンスフルだと感じる。編集と構成ゆえなのではとも思う。
ふと、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団の『カーネーション』を観たときのことを思い出した。なんで踊らずに台詞だけのシーンがあるのかと訝った私に、ピナは台詞も身体を使わないこともひっくるめてタンツテアターとしたんじゃないのと一緒に観た人に言われて妙に腑に落ちたときのことを。


執拗に繰り返される「ジョウナン中学」のエピソード、あの辺りで物語としての三人の位置関係みたいなものが立ち現れる。物語の「内部」に迫っていく。妻役の笠島智のテトテトした喋り方(女性によく見られる喋り方ではある)と対照的に夫役の足立智充が理屈ぽい台詞回しで、理論的な男性に従ってしまうぽやっとした感覚的な女性、といういかにもな構図が台詞とアップ多いだけにちょっとうんざりするのだが、おそらくこの夫が軽蔑していながら入り込めない嫉妬も同時に感じているであろうものが、妻と妻の幼馴染み役である澁谷麻美とがまさに「感覚的」に通じ合ってきたこと=王国なのだけど、澁谷麻美にとってはそれが忘れ難いだいじなものである一方、笠島智にとっては今もそうであるかどうか、年齢に従い結婚出産子育てという「普通の」女性のプロセスを踏んで「ぽやっと」ここまで来てしまった(しかしなにか軋轢を感じているが言語化できない)彼女にとっては、それが澁谷麻美が思っているのと同じくらい価値のあるものであるかどうかわからない、という虚しさは痛いほどよくわかる。これがもしかしたら草野監督作品に通底するものかもしれない。
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