なっこ

つつんで、ひらいてのなっこのレビュー・感想・評価

つつんで、ひらいて(2019年製作の映画)
3.4
装丁家の仕事

その人は本のモノとしての価値を信じている
そして、テキストと対話出来る人

私は紙の本愛好家なので、本の紙に対してとても愛着がある。モノとしての本を形作るのはほぼ紙だから。もちろん花切れ、スピンもそれが何色かも大事。そしてテキストのインクは黒が基本だから、彼の言うタイポグラフィーでモノクロで成り立つデザインであるべきという感覚はとても理解できる。白い紙には黒、これが最も美しい、と。

彼が、装丁家になるきっかけとなったブランショの『文学空間』。それから30年を経て新たに出すブランショの本を手がけているときの菊地さんのワクワクしている様子がとても可愛らしくてこちらまでウキウキしてしまった。
本を製本する方々の苦労は、安藤祐介さんの『本のエンドロール』で読んでいたので印刷所のシーンはちょっとその内容を思い出しながら見た。

凝った装丁の本は書店や図書館では扱いづらい。棚の抜き差しや配送されることを考えてみれば分かること。
でも、テキストが身体を持った存在としての本は、たとえ大量生産されたものであったとしても、ひとりの読者を前にしたとき、それはたった一つの命、たった一つの身体として、存在する。唯一無二の特別な存在として目の前に立ち現れる。彼にはそういう本との出逢いの経験があるからこそ、こだわり抜いたデザインを施すことが出来るのだと思う。それは、ひとりの読者に向けられた誠実な仕事ぶり。

書店に並ぶ商品として、本を考えたとき、やはり大量生産大量消費の時代の流れには逆らえない。スピードが大事で、速く安くたくさん、多くの人に届けることが良しとされる。たぶん彼の仕事ぶりはその時代の流れには乗っていない。テキストが印刷されていればそれは本、という訳ではないはず。手に持ったときの重さ、捲る紙の質感、それも含めての読書体験だから。書店でどう出会うか。だからこそ帯まで含めてデザインするのだと思うし、平積みされたときにどう見えるかも大事にする。本表紙を人の肌に喩えるところは嫌いじゃない。私も書店でカバーを捲る方だから。函やカバーは本来は輸送時の本体の保護の役割、それがデザインされるべきものとして変化していった。本来は剥かれて其々の家の書架に立つはずだった。だからたまにカバーを外すとツルッとした白い表紙だとがっかりしてしまう。でも逆に剥いてタイトルが箔押しされていたりすると嬉しくなってその本を所有したいという欲求は高まっていく。

ひとつひとつのものが作り手のモノとの対話の結果として生み出されている。そう感じられる製品を家に迎えられることは生活者としてとても幸せなことだと思う。所有することへの欲求が薄くなりつつあるいまという時代にはもう受け継がれない価値観かもしれない。でも淘汰されていくならば、そういうものの方が残っていって欲しい。本体価格が高くなってしまったとしても内容に相応しい装丁が施された本が並ぶ方が良い。そういう時間と手間をかけた仕事がこの先も残っていって欲しいと願う。
なっこ

なっこ