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フォードvsフェラーリのトレバーのレビュー・感想・評価

フォードvsフェラーリ(2019年製作の映画)
5.0
語弊があるかもですが、
「男ってしょうがねーなー」映画でした!

ボクは、免許は持っていませんがw
それこそSWに出会った小2の頃に直撃した
スーパーカーブーム世代なので、
そりゃもうクルマ大好き!
レースゲームには目が無いですし、
ボクの名前の由来は車を盗んだりしてアメリカを走り回り
犯罪行為しまくるゲームがありまして、
それの極悪主人公からなんです。

CGほぼ使わずの凄まじいレースシーン。
エンジン音、金属の軋む音。
当時のガレージロック。
もう、それだけで最高なのに、

ベタだけど最高過ぎる男の友情。
お互いを許すための殴り合い、
そしてそれを優しく見守る奥さん。
もうねー、ボンクラ男子の理想だよね。
偏屈で頑固ゆえに世渡り下手な天才レーサー
マイルズ(チャンべがマジ最高!また痩せてるし、、、)
を理解し、支え、ハッパをかける。
でも、ただ夢を追わせるだけではなく
守るべきものは守ろうとする強さもある。
白眉のシーンは、上層部に疎んじられて
ルマン出場させてもらえずガレージで
寂しく現地のラジオを聴くマイルズに
そっと寄り添いラジオのチャンネルを切り替え
スローナンバーをかけてダンスするシーン。

本作は、ダイナミックなレースシーンの合間に
とても繊細な役者の演技、演出があり
そこが大元のストーリーより雄弁に本作のテーマを伝えてくるんです。
何せ本作は実話に基づいたストーリー。
若干デフォルメされた部分はありますが、
ほぼ実際にあったエピソード。
そこから、何を伝えるか。

だから、かなり偏重しているといえる描写もありますし、
省略している部分もあります。
例えば、タイトルにあるvsフェラーリ。
本作においてフェラーリは、フォードにとって
憎々しい存在でしか無くて。
モーターファンは、フェラーリの偉大さは
よく分かっているわけで、そこはオミットしていいわけです。
そうでないと、焦点がぶれてしまう。
あくまでタイトルはvsフェラーリだけど、
心臓に爆弾を抱えたため走る事が出来ないシェルビー
(マットデイモン、本作も勿論いい!)
彼が全てを託したマイルズとの共闘。
敵は、フェラーリではない。雇い主のフォード。
むしろモーターファンこそ事情を知ってるわけで
フェラーリの書き方が云々とかの批判が出るのがおかしいんだよなあ。

車に詳しくない人に分かりやすくするために、
ブレーキ、ギア周り以外の専門用語やトラブルは
極力省略されていますし、マイルズの息子くんが
いいナビゲート役をしてくれるのも上手い見せ方。

無能だけど、初代の意思は継ぎたい二代目社長
(シェルビーに試作車に載せられ漏らすは泣くはなんだけど、あの涙は初代に向けて、こんな凄い車が出来たんだよっていう嬉し涙でもあるんだよね)
自分では何もしないけど、手柄は涼しい顔して
さも自分の手柄のように平然と掻っさらう。
あー、こういうクズいるよなー。
しかもプライドは高くて気に入らない奴は権力で潰す。
どっかの国のトップみたいな副社長が最悪なんだけど敵はそいつら。
いかに、金やメンツばかり考えてるやつらを
出し抜いて自分らの名誉と理想のために戦えるか、
が本作のテーマなのです。

マイルズは、レースに勝つ事だけを考え、
速さに魅せられ突き進みますが、
そこまで辿り着けたのはシェルビーの努力故と
よく分かっていました。
それが、あの結末を選ぶ理由なんです。
フォーザチーム、よりもシェルビーのために。
自分は、ここまでこれたから。
だから、あの結末でも2人はそこまで引き摺りませんでした。
やり切ったから。清々しいラストなんです。

アメリカ、フォードのモータリゼーション、安価な車を大量生産。
そのイメージアップに利用されたに過ぎないかもしれない
シェルビーとマイルズ。

実際、この年66年のルマンはヨーロッパ勢にとっては
屈辱的な年とされているようで、
本作はヨーロッパではタイトルがルマン66と
変更され公開されています。

でも、当時のフォードは評価されていませんが
シェルビーとマイルズはリスペクトされています。

2人の男の熱い戦い。
ロマンに向かい突き進む、どうしようもない奴らの物語でした。
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