ヘソの曲り角

システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいのヘソの曲り角のレビュー・感想・評価

4.5
前評判でしんどい系映画の最高峰だと思って身構えて向かったが思ったより同情から距離が取れるような作りだったように思える。全然辛いより面白いが勝つ。それでもかなり気の毒な話だけど。サントラがほぼロックテイストでそれが悲壮感より疾走感を高めててベニーの衝動に沿ったムード作りをしていたように思う。周りも保護が必要な子どもや性格の悪い大人に溢れているのでベニーの暴走っぷりが理不尽に思えなかった。ウェットどころか思ったよりパンクな映画のように感じた。

ベニーの暴れっぷりは「mommy/マミー」の主人公に似ている。どっちも母親が終わってるが本作は母が自分の手に負えないことを若干自覚してるだけまし。でも母親が育ててる残りふたりの子どもたちはどうなっちゃうんだ…という不安が超ある、既にベニー化の兆候あったし。母の愛を一番に希求するも母がそれを拒絶するという終わりの構図が話が進むほどに明示されていく。ずっと献身的に尽力していた児童福祉局員の人が終盤母にキレたのは本当によく分かる。

通学送迎係のミヒャは初登場シーンから元輩感がすごい。掟破りのクセ者感などから「最強のふたり」を思い出させる。その暴力との距離感からベニーとの信頼関係を築くのだが逆に親代わりを求められプライベートを侵食されていく。結局ベニーから手を引く意思を伝えるがその時の「自分ならベニーを救えると思ったのは驕りだった」という吐露が印象的だった。ミヒャの善意がベニーの暴力性を結果的に加速させてしまうのは実に気の毒である。

中盤ベニーはミヒャとともに森の小屋に3週間療養しに行くのだが、そこでの比較的穏やかな時間はたしかに希望を感じさせる。今年公開された「コット はじまりの夏」での叔母夫婦との暮らしも似たような役割を果たしていたと思う。この「システム・クラッシャー」の恐るべき点は「コット〜」で示唆に留まったその後の生活での逆戻りを丹念に描いたことにある。根本問題はまったく解決していないので結局ベニーは暴れる。おまけに母の次に頼れるミヒャを求めて余計に暴れる。また、「コット〜」と類似するのは10歳前後の少年が日常的におねしょをする点である。「コット〜」では途中収まるが本作では最後まである。てかコットの制作陣はこれ参考にしてるのでは…?

ベニーに必要なのは四六時中献身的に愛をかけられる人間なのだが残念ながら本編中では見つけられなかった。児童福祉局は規則があるしひとりにかかりきりはできないしミヒャが直面したようなプライベートを犠牲にするのもあまり良くないし親はあの通りだし、ベニーは一体どうなってしまうのか。「システム・クラッシャー」から分かる通り、既存の枠組みから逸脱して個々の対応が必要な人間をどう生かすのか、というかそもそも枠組みとは…? など現時点では適切な対処が思い浮かばないものを描いた作品であった。

ただ、昨今のそういう人間たちをとりあえず最後に殺して悲劇度を高める手法に堕ちずあくまでブチ壊していくパンクさを見せたのが私の中ではかなり好みだった。現状なんにもよくはなってないけど。