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ペトルーニャに祝福をの03のレビュー・感想・評価

ペトルーニャに祝福を(2019年製作の映画)
4.0
私達の映画がきたなと言う感じ。最高。
エイジズム、ルッキズム、セクシズムの被害者三銃士を連れてきたよみたいな全部盛りにしたらぺトルーニャになる。で、この映画のタイトルは「God exists,her name is petrunya」な訳だからもうそれが答えなのだ。
godをherと呼んでるタイトル最高だけど、劇中でも「神様が女性だったら?」というまんまな台詞が出てくる。
いわゆる問答系の映画で、警察署でペトルーニャが神父、警官、署長、レポーター、母親らと話をすることで、自分でも気がつかなかった自分を見つめ直し、充足していく。自分を満たすために誰かの存在を消費することは、虚しい行為だと言うことを、彼らを通じて知る。
不倫をする友人や、ペトルーニャに過干渉な母親、全く自分の意思なく上に従う神父、署長、男達、…話に出てくる人は皆、自分を充足させるために誰かを使っている。そして、この映画の男は、自分の充足のために女を消費している。わかりやすい構図。
女の話を書く時に、有能である、自立している、美しい、そういう女が社会構造に阻害され消費されていることを描く作品は沢山ある。だけどこの映画は、美しくも無く、独身で、実家暮らしで、職のない、自信もない、そう言う女が、それでも誰かに消費される必要はないこと、自分は自分という存在であるだけで確立していることを自覚するプロセスを描いている。私に信仰(=縋るもの、消費するもの)は必要ない。あなたたちにはまだ、必要な様だけど、とさらりと言ってのけ、消費の象徴たる十字架を明け渡すときの清々しさは、凄まじい。私たちは皆、有能ではないが、満ち足りている。それを自覚して良いと言うことを、この映画は教えてくれる。
映画の構図としては、ペトルーニャが「キリスト気取りか?」と男から揶揄られるシーンで、川を横切る形で舗装された細い道を通るところ、まるで川の上を歩く様に彼女の姿が映されるから、この映画が何を意図してるかわかる。始まりにこれを持ってくるのは親切だと思った。
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