デヒ

ミッドサマーのデヒのネタバレレビュー・内容・結末

ミッドサマー(2019年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

映画の序盤、主人公のダニーはガスを利用した自殺事件で自分の妹と両親を失う。その後、トラウマを抱えたまま、彼氏のクリスチャンとその友達と一緒にスウェーデンの小さな村に観光に行く。カルト集団を思わせる村の住民たちの衣服や風習。村で起こる奇怪な出来事。

映画を見た感想は… 夢幻的な残酷童話を見たような感じ。それに加えて、映画を見る私自身も直接その光景を見守ったような感じ。体験。衝撃的な場面では人々とともにののしり、吐き気がした。幻想的な風景と親近感を感じさせる住民によって、親しみを感じた。そして人物はじっとしているが、後ろの背景またはテーブルが少しずつゆがんでいることを発見できる。映画は、ダニーの苦しい内面状態を視覚化させて見せている。気持ち悪かった。

私はこの映画を「ガスライティング(gaslighting)」と「新しい家族の誕生」の映画だと思った。
ガスライティングとは、瓦斯燈效果ともいい、心理的操作によって他人の心に疑いを呼び起こし、現実感と判断力を失わせることによってその人に支配力を行使することを指す言葉である。
主人公ダニーはトラウマによって内面的な苦痛を経験しているが、断崖での衝撃的な場面を見た後、苦しみながら村を去ろうとする。そんなダニーを阻むペレ。自分の不幸な過去の話をする。 聞きたくないという抵抗にもかかわらず、語り続けるペレ。聞いてばかりいるしかないダニーは次第に自分の意志を失い、ペレの言葉に説得されるようになる。これはペレだけでなく、すべての村の住民に該当する。断崖からの場面も叫びながら去ろうとする外部者(主人公や友人、イギリス人)に自分たちの風習だと理解してほしいという長老。映画の外の現世においても、他の国家や部族の固有文化を理解しようという声があるが、個々人が文化を理解することは個人の選択ではないか。人間は考えがあり、選択する権利がある。しかし、この映画では個々に選択の自由がなく、一方的に思想を強要された姿に見えた。それでダニーは自分のことや友達を疑う。

前にも述べたように、ダニーは家族を失った。後に家で号泣する場面で彼氏のクリスチャンはただ眺めるだけで、感情のない慰めをするだけだ。ダニーとクリスチャンを含む5人が奥地に旅行に行く。村人という共同体とアメリカ人という共同体。映画は時間が経つにつれ、5人はばらばらになる。ダニーはクリスチャンといるときにはうれしいのが普通だろうが、そうではないようだ。しかし、村人たちはダニー自身の悲しみや幸せを共有してくれる。共感してくれる。時間が経つにつれ奇怪になっていくストーリーと違い、ダニーは笑いを取り戻していく。

最後の場面、燃える三角形の建物。全焼する。その姿を見て笑うダニー。 私はこの笑いは、自分を抑えていた存在の死による解放感とともに、やっと自分の悲しみを共有してくれる新しい家族ができたという安堵感からくる笑いではないかと思った。

ダニーの笑いで終わったため、エンドロールが流れた瞬間、あ~面白かったと思うのが正常だろうが、この映画は何かすっきりしなくて頭が痛くなる。好き嫌いがものすごく分かれる映画だと思う。 私には本当に面白かった。すごい映画を見た。お祭りに行ってみたい。
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