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ミッドサマーのコのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
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心の底から信じる、狂信する、狂う事で幸せに辿り着ける(空想の楽園への逃避)と宗教だか哲学の本で読んだことを思い出した。
他者から見てそれがいかにディストピアであっても、当人にとっては間違いなくユートピアで、その他人の世界を否定する権利など無い。
ディストピア系SFとかでありがちだけど、ミッドサマーではそのユートピアの在り方の根幹が、本質的というか原始的というのかわからないが、他者との共有、調和にあり、それの感じがなんともまあえも言えぬ気持ち悪い感覚。
誰だって共感されたら割と嬉しいと思うけど、ここまで完全な同調ってどうなのだろう。
心の底から共に泣き叫んでくれたら、崖から飛び降りた後に顔面を叩き割られる事を是とできるだろうか。
でもミアハも全てが自明の下にあるハーモニクスは恍惚だって言ってたな。
自分は、作品、言語を介した外界行きの方舟が共感された時に、認められたような気がして嬉しく思う。
だから言葉を綴りたいしモノを作りたい。
そうした伝える努力を介さずに受ける共感は、空虚な気がして好きじゃない、気持ちが悪い。
だからあの調和も気持ち悪く感じた。
が、あくまで共感という終点へ辿り着くための伝える努力なのであって、辿り着いた終点の景色が手段を介そうが介すまいが本当に変わらない状態になるのであれば、その必要はないと思ってしまった。
それにあの共感はきっと空虚なんかじゃない。
少なくとも当人達にとっては。
そう思うとあれが自分の理想形?
違うと信じたい。
血の鷲になんてなりたくないし全裸で囲まれながらセックスもしたくない。
でも、言葉を越えて共感、家族なんて言ったら素敵にも聞こえるかもしれない。
いやでも、ここまで書きながら考えてきて、終点は共感ではない気がする、そこまでの共感が欲しいか?
想像したらちょっと不愉快。
じゃあ何の為に?
自分が真に求めるものは果たしてなんだろう?

ps.
引っ越してからのお家映画1本目。
もうすぐ6月だけど、これが祝祭の儀式の始まりでない事を願いたい。
10人目か、或いは1人目か、、。
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