紅蓮亭血飛沫

牙狼 GARO 月虹ノ旅人の紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

牙狼 GARO 月虹ノ旅人(2019年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

まず、私が牙狼<GARO>というコンテンツに触れたのは約5年ほど前でした。
BSスターチャンネルにて2005年版、白夜の魔獣、MAKAISENKI、闇を照らす者、魔戒ノ花・・・とシリーズ100話以上に及ぶ常軌を逸する一挙放送により、瞬く間にこのコンテンツにハマってしまいました。
元々仮面ライダーやスーパー戦隊、ウルトラマンやメタルヒーローといった特撮ヒーロー作品が好きだったのもありますが、それらとは一線を成す深夜枠だからこそ出来る脚本、演出、アクション、VFX・CGの素晴らしさに射抜かれ、今に至ります。
雷牙劇場版、遂に実現しましたね・・・。

単刀直入に言うと、本作の出来栄えは最高でした。
牙狼<GARO>シリーズ劇場版最高傑作といってもいいぐらいの熱量と、シリーズ14年の集大成を感じる構成・演出、アクションにファンは興奮を抑えきれない事間違いなしの、愛を感じる映画でした。

いきなりですが、惜しいなぁと感じてしまった点をいくつか。
まず、牙狼のスーツ自体を用いた撮影があまり見られなかった?、と思わしき点。
冒頭での女ホラー戦後に邪気を注入された場面ぐらいにしか、牙狼のスーツによる場面が見られなかったと思われますので、そこが少しだけ残念だな、と(牙狼におけるVFX・CGの出来映えは国内最高峰の質だと思いますが、特撮ヒーロー作品である以上、本来のスーツを用いたあれこれも見たいのが心情)。
次に、列車を用いた要素(アカモク、列車内では時の概念がない)についてあまり言及されなかった事。
結局あれらは何だったのか、と消化不良な点もあったため、少しばかり気がかりでしたね(どこかへと還って行く虹色の霊は感覚的に理解出来るのですが…)。
仮面の男・白孔が元魔戒騎士であったという背景や、一体何の陰我に囚われてゲートとなったのか…といった部分の謎(松田悟志さん演じる魔戒騎士、かなり様になってて素敵でした…。スピンオフとかで見てみたい)。
総括的に大満足の映画だったのですが、尺の関係上か掘り下げ不足だった点も少しばかりあったのでちょっとだけ、ほんの僅かだけ惜しかったですね…。

では、ここから本作を褒めちぎります。
とにかく膨大な熱量をもって牙狼<GARO>ファンを唸らせる、聞くも涙、語るも涙の至福の時間が攻め寄せてきます。
まず、本作の大きな見せ場として機能している、牙狼<GARO>シリーズにおいての代表格であり原点である冴島鋼牙、有無を言わさぬ威厳と貫禄を併せ持つ冴島大河の再登場が真っ先に目を引きますね。
それも中途半端な活躍、別の場所での奮闘といったものではなく、雷牙と同じ場所で戦いに赴くわけですから、扱い方が非常に良い。
必要以上に出しゃばって主役の存在を食ったりしない、その塩梅が絶妙でしたね。
鋼牙の二度目の登場時には2005年版前期OPと共に降臨するわけですから、ボルテージがどんどん高まるのを感じました。
BGMの力は偉大ですね・・・。
また、“バデル”という少年の正体が明かされる瞬間のカタルシスは、劇中で描かれた彼の正体にまつわる布石を瞬く間に回収してみせる手腕がしっかりと備わっており、バデルについて注意深く観察していた方は期待以上の興奮を覚えたのではないでしょうか。
彼の正体が分かった途端、雷牙と共に列車で旅をした一連の光景は「肉体をなくしてしまった祖父が、孫と味わうちょっとした旅行だったんだな・・・」とまた違った見方であの光景を見詰め直すことが出来るのもおいしい。
冴島家系における親子関係描写を、戦闘面だけでなく日常面・ストーリーを通して徹底した構成が際立っているのが素晴らしいです。

主人公・冴島雷牙の更なる試練、として父・鋼牙と祖父・大河が通った道を彼も歩む構成も嬉しい。
冴島雷牙という存在自体が、公式の声明からも“歴代最強黄金騎士”と謳われている一方、雷牙の活躍を描く世界観が魔戒ノ花しか存在していなかったため、シリーズを見てきたファンにとっても雷牙を歴代最強、とは安易に認め辛かったと思います。
何故なら、シリーズを長年引っ張って来た我らが主人公・冴島鋼牙や、冴島家系でないイレギュラーだからこそ描ける物語に徹する道外流牙並に、たくさんの経験・作品が不足しているからです。
例として、暗黒騎士・呀、ホラーの始祖・メシア、レギュレイス、カルマ、ギャノン、ジュダム…と黄金騎士の名に恥じない強敵ホラーとの戦いを斬り抜けてきた我らが主人公・冴島鋼牙の長年の活躍にはまだまだ及びません。
だからこそ、本作で雷牙が乗り越えねばならない試練として暗黒騎士・呀ことバラゴと再戦する…というのが嬉しい。
子はいずれ父を超えるもの、とよく言われますが、この言葉は正しく雷牙にこそ必要であり、大切なテーマを象徴していると思います。


更に、冴島家系牙狼の集大成とも言うべき本作は劇中通してたくさんのシリーズへのリスペクトに溢れている、というのも一ファンとして口角が上がってしまいますね。

・シリーズに関わって来たキャストがそれぞれ別の役でカメオ出演(藤田玲さんが演じたキャラなんて、絶狼<ZERO> DRAGON BLOODでの竜を使っていましたよね)

・「バルチャスを制する者こそ、最強の魔戒騎士の素質あり」という格言があるバルチャスを行う雷牙と大河(大河は阿門法師との決着が付いていないまま命を落としてしまったわけですが、阿門法師も魂となった今ならばどこかの場所で実現したのでしょうか)。

・鋼牙が烈花の術を使用した場面。

・まさかまさかの“鷹皇騎士・王牙”。

・「貴様はもうバラゴではない!」『違う! お前は騎士ではない!』
 「貴様はホラーも同然だ!」  『お前はホラーも同然だ!』
 「そして俺達は、ホラーを狩る魔戒騎士だ!!」


戦いの果てに描かれる、
“何故黄金騎士・牙狼は、守りし者は強くあれるのか”
そのルーツを巡る戦闘面のギミック、三大黄金騎士による力強いメッセージは牙狼<GARO>ファン泣かせの名シーン!

牙狼<GARO>というコンテンツの大きなテーマに、“継承”があります。
父から子へ、子は父となり、また次の子へ…と受け継がれる様は、牙狼<GARO>においての大きな魅力として機能しているのです。
それは牙狼の鎧も同様で、次の世代へと受け継がれていくものなのですが、本作はクライマックスにおいて牙狼の鎧を通した戦闘からもそのテーマを爆発させた、その手腕が堪りませんでした!
三人が鎧を腕や足だけに纏わせ、見事な連携により次々と強烈な攻撃を王牙に食らわせる場面は変な声が出そうになる程のインパクト!
満を持して三人全員が、鎧をバトンタッチ装着させながら王牙を圧倒していくのも格別ですね!
極め付けの「馬鹿な…!? たった一つの鎧に…!」「一つではない!!」からなる、シリーズ14年を通して出会って来た盟友達をバックに語る三大黄金騎士の眩しさたるや!!
守りし者とは、人を守るという事は、人の命を救う事だけでなく、人の思いを守り、未来へと受け継いでいく事。
牙狼<GARO>がヒーローたりうる所以を、三大黄金騎士が辿って来た歴史と盟友達を通してぶちかましてくるものですから、ファンは何回もこの映画で心を揺さぶられる事となるでしょう。
仮面ライダー剣において、「本当に強いのは…人の思いだ!!」という台詞と共に覚醒する名シーンがあるのですが、本作も正にこの台詞を体現する映画でした。
人が人を思う心・思いは、どんな闇にも怯まない。
人が持つ至高にして最強の力、なんですね。

更に更に、牙狼<GARO>は劇場版を含め、ここぞという時の場面においては正に奇跡と言える一度っきりの形態変化がありますが(翼人、鷹麟、竜陣、蒼竜、光覚獣身、等々)、本作では形態変化が描かれません。
というより、描く必要がないのです。
先程も述べた通り、本作が描いたテーマは牙狼<GARO>の根本的な縁である“継承”です。
牙狼の称号を受け継ぐという事は鎧だけでなく、先人達が守り継いできた人々の、盟友達の思いをも背負って生きていくという事。
そのたくさんの思いを未来へと繋いでいく牙狼の鎧はまるで、形態変化といった目に見える進化をせずとも十分な程に強く、逞しいのだと訴えかけてくるようでした。
人の思いを未来へと繋ぐ、それこそが守りし者が強くあれる原点であり、その使命を糧にして戦う牙狼は、負けるわけがないのです。

最後に、私個人が本作で特に素晴らしいと感じたのは、結末で“鋼牙もカオルも帰って来なかった”事です。
本作のタイトル・キャッチコピーが金狼感謝祭で発表された際、彼らが帰還するとばかり思っていたものですから、そうなったら納得がいかなかった身としては、その結末に安易に辿り着けさせない、スタッフの一捻りが絶妙!!

そもそも鋼牙とカオルが雷牙の元へ、冴島邸に帰ってくる・・・というのなら、それ相応の思いを馳せる時間がもっと必要、と以前から考えてはいました。
何故なら、冴島雷牙が主軸となり描かれている世界観・作品が“魔戒ノ花”しかない以上、その世界での時間軸・流れる時の流れが、“冴島家族が離れ離れになった時間の重み”が視聴者側には伝わり辛いからです。
エイリスを封印して1ヶ月ぐらいの世界観なのか、それとも3年ぐらい時が流れたのか・・・と、把握しようがないですし、仮にそう設定されたとしても世界観上の時の流れ、という実感が生まれ難い。
ともなれば、もしその結末に辿り着いたとしてもようやく両親が帰って来た、と打ち震える雷牙に感情移入出来なくなる、という最悪のパターンになり得る可能性が十分にあったんです。

例えば鋼牙メインの作品ならば、多くの強敵ホラーとの戦いやスピンオフ作品といった“作品数の多さ”で冴島鋼牙という男が辿った世界観の構築がしっかりと出来ている。
その積み重ねがあったからこそ、鋼牙が約束の地へと旅立たなければならない使命と、彼の帰りを待ち続ける盟友達の活躍を辿る作品群(絶狼<ZERO> BLACK BLOOD、桃幻の笛)を通してバックボーンを肉付けし、“蒼哭ノ魔竜”という物語が描く感動を生み出す事に着手出来た。

一方、冴島雷牙編は鋼牙や道外流牙のように作品数そのものが多くなく、彼が主体となる作品が“魔戒ノ花しかない”という大きな欠点を抱えてしまっている。
それは即ち、雷牙の世界観における時の流れ・進行具合が停止してしまっている事に直結します。
魔戒ノ花から5年経ったとはいえ、それはあくまで我々視聴者が歩んでいる時の概念であって、作品そのものの時間軸とリンクしているわけではありません。
例え雷牙の世界観が我々と同じように5年ぐらいの月日が経っているとしても、雷牙の世界観を描く作品を、彼らが5年の月日を歩んだ背景を感じる程に感覚として認知する事が出来ない。
作品の世界観を目にしていない・描かれていない以上、その世界観における時の流れからなる戦いや登場人物達の心境変化といったものを我々は理解出来るはずも、認識する事も難しい。

以上の事から、月虹ノ旅人で“鋼牙もカオルも帰ってきましたよかったよかった”、という結末になったら正直に言って溜息をついていた羽目になったであろう事は明白でした。
トレーラーや宣伝(キャスト出演)を通してあれだけプッシュするわけですから、これはもう確定だろうと落胆していました。
最終的に少々モヤモヤしてしまうのは否めないかな、と危惧していていました。

見事に裏切られました。
あれらは全部嘘偽りのフェイク。
全ては視聴者へのミスリード。
最高でした。
心の底から喜びました。
三大黄金騎士の戦闘を始め、随所に心を滾らされましたが、その上で最後の最後に私個人が抱いていた懸念材料を、ナーバスな点を見事に払拭してくれました。
これを歓喜と言わずしてなんと言いましょうか!!

「必ず戻る、信じて待ってろ」
クライマックスでの展開は、この台詞を最後の最後にもう一段階上のクラスへと昇華してみせました。
雷牙の世界観をまだ根深く掘り下げていないのならば、まだ全てを解決させたハッピーエンドに繋げるわけには行かない。
そんな簡単に再会出来るようならば、この言葉の意味する重みも、思いも、弱くなってしまうから。

牙狼<GARO>シリーズ14年の重みと、牙狼<GARO>というコンテンツだからこそ出来るヒロイズムを、三大黄金騎士勢揃いという環境で爆発させた手腕を通し、ファン泣かせなんてものじゃ言い表せないぐらいの素晴らしい画力を誇っています。
雨宮慶太監督が「牙狼<GARO>を愛してくださった人々への感謝を込めた」と述べていましたが、この言葉に嘘偽りはありません。
牙狼<GARO>が好きでよかった、と心の底から感謝する他にないほど、本作を通してスタッフとキャストから溢れんばかりの愛を受け取りました。

感謝、だなんて。
こちらの台詞ですよ。
本当にありがとう、牙狼<GARO>。
牙狼<GARO>を好きになって、本当に良かった。



P.S
実を言うと、本作を鑑賞したのは10/7でした。
この日は雨宮慶太監督と、雷牙を演じた中山麻聖さんが登壇する舞台挨拶日であり、2005年版牙狼<GARO>が初めて地上波放送された記念日!
子どもの頃にビデオで鑑賞したウルトラマンvs仮面ライダーや仮面ライダーZOを通し、雨宮監督のファンだった身としては人生の夢が叶った瞬間でもありました。
それもかなり席が近かった…。
この記念すべき日に子どもの頃からの憧れである雨宮監督と、実際に目にすると抜群のプロポーションを誇る中山さんの姿に、上映前から感無量でいっぱい。
そこに加えて映画の出来も抜群だったわけですから、もう多くは語る必要がないぐらいの満ち足りた気持ちでした。
生きてて良かった…素敵な映画と出会いを与えて下さり、本作に携わった全てのキャストとスタッフに、心からの感謝を込めて…ありがとうございました!!