机の角に小指をぶつけ続けている。
自分の意思とは関係なく。
その机は随分と昔から置かれていて、
悪意もなく〝何気なく〟そこに置かれたのかもしれないし、〝ぶつける前提〟で置かれたものでもある。
扉を開くたび、次はもうぶつけないと思っても今度は肘をぶつけた。
たぶん、私たちは死ぬまでぶつけ続けないといけない。
『共感と絶望から希望が生まれた』『大丈夫あなたはひとりじゃない』
バイアスのかかった日本のこの宣伝文句が先ず最悪で、この話は『大丈夫』でも、『希望』でも何でもない。
何が希望なのか?ひとりじゃないから大丈夫なわけでは決してない。
何世代も流してきた血にまみれた話だ。
そして今作のエンディングはとおいとおい〝ただの夢〟
夢や祈りでは、誰も救えない。
現実は、違う。
当たり前かのよう此処に居座り続けている〝問題の机〟を
全世代の男性女性がおなじまなざしを持って対峙することは出来るのだろうか。
対峙するたびに全員が小指をぶつけ続ける。
この机に疑問を抱くまで。
でも疑問の声を上げても机の角は無くならない。
私たちが何百年とぶつけ続けたこの角は、少し脆くなっているように見える。
でも見えるだけで、もしかすると裏側は補強されているかもしれない。
みんなでぶつけたらどうなるだろうか?
この〝小さくて大きな違和感〟に蓋をし続けた果て、身体や心を失う人もいる。
傷の度合いだって人によって大きく違う。
そしてその傷を慰めることは誰にも出来ない。
何かや誰かに消費され、擦り減らしてきた私の一部は二度と戻ることはない。
悲しみと怒りの涙と血は何度も何度も流した。
私たちが居る此処はそうゆう場所だ。