オークワフィナの飾らない姿勢がとてもよい雰囲気を醸し出していた。
あとカメラワークやBGMや色彩がおしゃれでとても素敵。
長春やニューヨークの街を見ているとそこに行きたくなる。
ああやって二か国語を自在に操る2世が羨ましいな。
(親の意思だが)アメリカンドリームに憧れて渡ったアメリカで現実はそううまくもいかず、うだうだしてるビリーはとても身近だし
親戚一同集まった中での剣のある会話や、
おばあちゃんが陰で孫の嫁のことを悪く言ったりする様はまあこういう諍いってどんな家庭にも何かしらあるもんだな。と思う。
それでも大家族で集まって盛大に祝う中国のしきたりはもう今やほとんど見なくなった風習で憧れる。
アメリカでは本人に病気のことを伝えないのは違法ですらあるそうだが、中国では伝えないのが一般的らしい。
そんなわけで主人公ビリーの祖母の癌について、本人に告知せず結婚式を偽装して一族で集まる。
アメリカで育ったビリーにとってはその価値観は受け入れ難く、悩みつつも親族の意見に従う。
ただ悩むのはビリーだけでなく、息子(ビリーの父親と叔父)2人も実際にこの選択が正しいのか悩んでいる。
(特に2人は日本とアメリカと、海外に移住して長いことも自分たちの考えに影響を及ぼしていたのかも)
中国では生命は個人のものではなくみんなのもので、だから母親の苦しみは自分たち息子が肩代わりするべきだ。という長男(ビリーの叔父)の台詞は西洋的な価値観に侵された私にはしっくり来ないけれどとても興味深いと思った。
特に個性だとか自己実現だとか私らしさに疲れた自分にとっては、とても東洋的な、境のない考え方は、もはや実践できないが、きっと別の幸せの形が、めんどくさい人間関係も含めて人間らしい幸せがあるように思える。
一方で、悩みや問題ごとを隠す習慣はとても日本と似ていると感じつつ、ビリーがいつも隠されてきて不安で辛かったと泣くシーンは東洋的なこの考え方の問題点を実体験から訴えている
ただ、最後の恐らくこの映画のモチーフとなったナイナイの元気な姿は
確かに病は気からなのかも と感じずにはいられない。
自分が元気と信じ込むことで本当に元気になっちゃったんじゃないかな、
中国では
癌が殺すのではなく、
癌の恐怖が人を殺す
と言われているそうだ。