レインウォッチャー

私が、生きる肌のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

私が、生きる肌(2011年製作の映画)
3.0
こじれて狂った、行き場のない偏執的な愛の話…でも『ブラック・ジャック』ならありそうなエピソードだnya、とも。

高名な形成外科医で人工皮膚の研究家、ロベル(A・バンデラス)は、自らの屋敷で密かに一人の女性ベラ(E・アナヤ)を監禁している。
密室の中でヨガやアートをしながら暮らすベラと、彼女を別室からモニタリングしながら直接は触れようとしない様子のロベル、そして見守る老家政婦のマリリア(M・パレデス)。彼らの絡まり合った秘密と過去が徐々に紐解かれ、やがて驚くべき真実が明らかになる。

今作は「顔」にまつわる物語だ。
序盤、学会の発表の場面で、ロベルは重度の火傷の治療を例にして「患者には顔が必要」と説く。彼は遺伝子技術の禁忌とされる領域に触れながらも、人工皮膚の研究に取りつかれている。

一方で、劇中では「顔」あるいは皮膚の表面性が繰り返し描かれる。
ロベルの屋敷に闖入してくるとある男はカーニバルの仮装で顔を隠すし、彼を含む劇中のいくつかの人物は顔が原因で追い詰められたり不幸になる。
ロベルが実験で皮膚を切り貼りする行為と呼応するように、ベラやロベルの娘は衣服を切り刻む。

そして、結局のところロベルは顔や皮膚といった表層に囚われていたがために真の内面を見抜くことができず、いわば「同じ女」に二度裏切られることになるのだ。

アルモドバル作品定番である母の存在は、やはりこのギリシア悲劇の現代版のような物語を暗い霧のように覆っている。偽りや過ちは血縁と同じようにループして、新たな悲劇を生む。その様は、序盤と終盤に見られる、対になるポーズの図にも表れているように思える。

結末は、意外にも「まあそうなりますよね…」の範疇であっさり。まるで、もうそれまでにやりたいことが終わって飽きてしまったかのようだ。
それゆえか、ネタはディープだったはずなのに少し肩透かしというか、物足りない後味が残るのは正直なところ。

アルモドバル映画らしさは健在で、ラグジュアリーなインテリア、随所で主張しまくるテーマカラーの赤、アルベルト・イグレシアスのメランコリックな弦楽。彼の作品ファンならば、「コレコレ!」感に酔えると思う。