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デッド・ドント・ダイのAKのネタバレレビュー・内容・結末

デッド・ドント・ダイ(2019年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

「小説についての小説」としてのメタ・フィクションを書くならボルヘスくらい上手くないと白ける。「映画についての映画」を撮るなら、ゴダール程度に誠実でなければ価値がない。俺は『デッド・ドント・ダイ』はジャームッシュのエクスキューズと遊戯以上のものを感じなかった。

鑑賞者に「おもしれえええええ!!!」とか「なんじゃこりゃああああああ」という感情を想起させるまえに、鑑賞者のなかで批評や分析が始まってしまう映画は虚しい。

以下、俺の尊敬する研究者 @ZounekoB のツイートを後学のために貼っておく。

「デッド・ドント・ダイ」ジャームッシュのゾンビ映画は、メタフィクション趣味や映画トリビアも含めてゆるゆるで、劇中の台詞を引けば"This is gonna all end loosely”と言いたいが、でもティルダ・スウィントンをゾンビにしない一点において絶対的に正しい

いまさら言うまでもないが、名もなき死体の群れが全てを飲み込むゾンビ映画は低予算のB級映画にはよくなじむが、揺るぎない頂点を占めるスターとの食い合わせは悪い。

スターが似合うのは、たった一人の取り替えがきかない悪としてのドラキュラであって、そもそも謎めいた外国人がアメリカの田舎町に現れる(おまけに葬儀屋だ)ところから異変が起き始める「デッド・ドント・ダイ」は、キングの『呪われた町』に似た吸血鬼の物語を連想させる。

ドラキュラとゾンビが近いようで相容れない問題は、『アイ・アム・レジェンド』を翻案した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』以来ずっとゾンビ映画が抱える矛盾だったが、ジャームッシュからの答えは、両者をまったく調和させることなく、ドラキュラの単一性を貫き通すことだった。

「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」でティルダ様の完璧なる吸血鬼に涙して、喜んで血を捧げようと思った忠実な下僕ならば、ジャームッシュのゾンビ映画のこの選択に再度打ち震え、サムライソードの下に頭を垂れるだろう。
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