YuTakahashi

パラサイト 半地下の家族のYuTakahashiのネタバレレビュー・内容・結末

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

【概要】
 過去に台湾カステラの事業を立ち上げたりするも失敗し、今やニートとなってしまった父キム・ギテク(ソン・ガンホ)
 息子のギヴ(チェ・ウシク)は大学進学を志しているが、何度も受験に失敗し、浪人生活を続けている。
 娘のギジョン(パク・ソダム)は美大進学を望んでいるものの、予備校に通うお金もなく、その才能と技能を持て余していた。
 ある日、ギヴの友人であるミニョクが訪ねてきて、自身の留学中に教え子の女子高生の家庭教師を務めて欲しいと申し出る。
 高台にある高級住宅街の一角にあるIT企業の社長パク・ドンイク(イ・ソンギュン)の家を訪れたギヴは家庭教師として毅然と振る舞い、あっという間に母のヨンギョ(チョ・ヨジョン)と娘のダヘの信頼を獲得する。
 帰り際に彼は、パク一家の息子ダソンがインディアンの服装で暴れまわっているところを目撃する。
 絵の才能があるも、その情緒不安定さが目立つダソンを見たギヴはとある「計画」を思いつく。
 
・アカデミー賞
 作品賞、監督賞、脚本賞、外国語映画賞の4部門


【疑問点】
ⅰ)ギジョンが歌う曲
 ギジョンがインターホンの前で口ずさむリズムは韓国で広く知られている"Dokdo Is Our Land (독도는 우리땅)"、『独島(竹島)は我が領土』


ⅱ)ギウの友人ミニョン
 ミニョンが不正家庭教師の誘いをかけなければ始まらなかった事件。起点となる彼も無意識に友人を見下す富裕層。
「大学行かないんじゃなくて行けない」問答は格差と無理解の暗喩。
大学の友人に家庭教師をオファーしなかった理由はダヘをとられなくないから。
→ギウなら彼女と恋愛関係にならないという想定→見下し


ⅲ)母親チュンスクのメダル
 チュンスクはハンマー投げのメダリスト。半地下の家が洪水に見舞われた際、彼女の夫ギテクはこのメダルを持ち出そうとする(パク家での宴会で暴力を振るうフリをして子どもたちを驚かせるシーン
…夫婦間の深い愛情の示唆
=地下シェルター夫妻における、地下室での使用済みコンドームの描写


ⅳ)ピザの箱
 キム家の組み立てられたピザの箱は、4分の1が廃棄処分。正しく折れなかった人物は父親のギテク。最後、彼だけが最地下に潜ることの示唆?


ⅴ)ミニョクが突然くれた水石
 監督:「一番わかりやすいアプローチはミニョク。ミニョクは冒頭に少し登場していなくなってしまうが、代わりに水石が残ることになる。『しっかりしろ、しっかり』と立小便をしている人に檄を入れるシーンを見せられ、ギウもミニョクと同じようにまねる。ミニョクへの執着、変な強迫観念を手に取れる形で表現したくて作った装置が水石だ。」
 「ミニョクは他の世界の人物のようでいて、ギウにとってとても重要な人物だ。それで、パク・ソジュン(ミニョク役)のように彼自体存在感のある人が必要だった。」
 この水石は金持ちの家にあるもので、ギテクの家には似合わない全く異質のもの。それは違う世界から来た人がくれた新しい世界ともいえ、ギウはエリート大学生のミニョクのようになりたい
→ミニョクの分身
 ギウがパク社長の家へ面接へ行く日、この石を磨いている
…この水石は単純に運、幸運とも言えるし、ギウの夢や欲望とも言える。あの大雨で水没してしまった家からギウが持って来たものは、この水石だけ。結局自分の持って来た石が仇となって頭を殴られ、家族全員で夢見た生活どころか、家族を守ることもできなくなった。
 この水石は本来自然の中にあったもので、本質はただの石。それを人間が人為的に運や名前をつけて所有した。
 半地下の家には”안분지족(安分知足=知足安分)”という掛け軸。
・知足安分("Being happy with what you deserve")
…高望みをせず、自分の境遇に満足すること。「知足」は足ることを知る意。分ぶんをわきまえて欲をかかないこと。「安分」は自分の境遇・身分に満足すること。「足たるを知しり分ぶんに安やすんず」と訓読。
 最後、ギウは「水石」を自然の川の中に戻し、ギウも元々いた半地下に戻る。
…大きな喪失を経て最初の一家の指針に戻ろうとするギウの心情を描写。または学歴社会に勝負するのではなく、手段を選ばずひたすらお金を稼ぐ道に進むというギウの決意の変化。


ⅵ)北朝鮮のギャク
 地下シェルター夫婦がギテク一家の弱みを握り、録画したために形勢逆転、「動画を送るぞ、ボタンを押すぞ」と脅す姿が、北朝鮮がミサイルボタンを押すぞ押すぞ、と脅している昨今の政治状況とオーバーラップ。
 パク社長を、食べさせてくれる主人として「リスペクト!」し、忠誠を誓っているその様子がまさに北朝鮮、社会主義のシステムと酷似。


ⅶ)アルコールの種類
  ピザ箱内職時代のキム家が飲む緑色のビールは安価で、味も良くない。パク家就職後に飲むサッポロビールは一般的な大衆ビール。パク家に不法侵入したときは高級ウイスキーを空にする。ビールとウイスキーが階級の象徴になっていると同時に、キム家が飲む酒のグレードが上昇しつづけている。


ⅷ)ダヘの孤立
 父親は息子ばかりかまう。母親は彼女にだけラーメンの誘いをかけない。ギウに惹かれた理由は、脈拍のくだりで存在を気にかけてくれたから。


ⅸ)2人分の食糧
 家政婦ムングァンについて、パク社長は「マイナス要素は2人分食べることだけ」と語る
→地下室の夫に食糧を与えてたことの伏線。
 彼女は自分でお金は払っていたと弁明。
…地下の住人は「パラサイト」だとしても「泥棒」ではない。


ⅹ)インディアン・ダソンの絵・モールス信号・孤独
・インディアン
 インディアンは侵略される者の象徴。
 アメリカ好きのパク家のインディアン仮装は「対象の複雑な歴史には無関心、装飾としか見ていない価値観」の表れ(→パク夫妻の「貧困層ごっこセックス」も日常を刺激するロールプレイ)
 母親のヨンギョは、落ち着きがないから集中力をつけるためにボーイスカウトに入れたと言っている。ダソンがモールス信号やボーイスカウトの技術を習うのは、間接的に自分たちの家を守ろうとするメタファー。
ギウが正式に家庭教師に決まって家政婦に紹介された時、弓矢をはなって攻撃してきたのがダソンであり、唯一”ギテク家のにおい”に対し「みんな同じにおいがする」と気づいたのもダソン。

・有名建築家(創造主)
・地下室の夫婦(インディアン)
・パク社長一家(白人の征服者)
・ギテク一家(不法移民者)
→上記と考えると、誰よりも一番長く住んでいるのは地下シェルターの夫婦(その後家政婦は追い出される)。パク家のヨジョンはやたら英語を使いたがり、テントもインディアンの弓矢もアメリカ製。
→インディアン=侵略される者は相対的に変化する、つまり、誰が主人なのかわからない。
…この家はパク社長が主人だが、有名な建築家がもともと住んでいてIT社長がインディアンとして乗り込んだのか、事件後移住してきたヨーロッパ人なのか、本当の主人が不明瞭。

・絵
 自画像ではなく「幽霊」、つまり地下に住んでいる男。背後は晴天、テント
…誕生日パーティーを予告
 もう一つの絵は「額から血を流しながら刃を持って芝生に立つ絵」。
…ギジョンの死を示すケーキ
→2枚とも右下に地下室から倉庫への階段が描かれている。
→要注意人物として警告するように家に貼ってあるモンタージュ写真のよう。
【金持ちとラザロ】
[16−19]ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
[20]ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわる
[21]その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
→地下シェルターから誕生日パーティーに乱入した男はチュンスクともみ合いになり、BBQの大きな串に刺されて致命傷を負う。その後、動かなくなった姿を写したシーンでは、男に刺さった串の肉をなめている犬も描写。

・モールス信号
 モールス信号は地下室で喘いでいる男が必死にSOSを伝える手段、唯一気づいたのがダソン。
→下層の人たちが生存するための手段は、金持ちにとっては”遊び“でしかない。
監督:「ダソンの解読したものは”Help me”となっていて、解読しようとしてやめてしまう一般的な子どもの姿だ」
→下層の人たちの必死なSOSは誰にも届いていない、どんなに近くにいても地下に住んでいるような人たちの切実な声、SOSに気づかない今の社会へのメタファー。

・孤独
 パク家の母親ヨンギョは息子を心配する素振りばかりするが、劇中、優しいスキンシップは行っていない。ダソンにとって、家の中で親しい者は家政婦ムングァンただ1人。そのため、解雇シーンで彼のカットが入る。


ⅺ)鍵
 自分のプランがあって、そしてそこに至るまでの扉は目の前にあって、その向こう側の世界も薄っすらと垣間見えているのに、その扉を開ける鍵だけがどうしても手に入らない。
 終盤の男が暴走するシーンで、父ギテクがドンイクに、車を出せと命じられる。
…キム一家は、パク一家に寄生することで、彼らの家や車の鍵を手に入れ、自分たちがそれを持つ者かのように錯覚していたが、結局それらはキム一家のものにはならなかった。
→そのため、ギテクが娘ギジョンを介抱している際に鍵を返さざるを得ない状況は、どんなに足掻いても、持たざる者が持つ者になることなど不可能なのだという断絶を描写。


ⅻ)パク邸の電気
 ムングァンの夫は、倉庫へ下がる階段の明かりも操作。
…序盤、ヨンギョとギジョンの会話シーン、家政婦ムングァンが倉庫からあがってくる際明かりがついていたが、ヨンギョとギジョンが会話を進めるなか、すっと消える。この時に地下室の男は食事を受け取っており、妻への気づかいで消灯を遅らせた?
中盤、解雇されたムングァンがパク邸を訪問し、倉庫に向かったときは明かりはずっと消えたままになっている。そのあとキム家の母チュンスクが追いかけるかたちで階段を下がった時も明かりはつかない。
上階段の明かりにしても、男が尊敬するパク社長が通るときしか自動的に明かりがつかない。


ⅹⅲ)チャパグリ
 チャパグリとは韓国で超メジャーなインスタントラーメン、「짜파게티(チャパゲティ)」と「너구리(ノグリ)」を合わせて作るB級グルメ。
 この庶民的な”チャパグリ”に韓牛(日本でいう和牛)を入れて食べるシーン。
…監督:「金持ちでも子どもの好きな味は同じで、でも奥様は子どもがそのまま食べるのを容認できなくて、そこに韓牛をミディアム・ウェルダンでのせてしまう構成だった」
→チャパグリの「ノグリ+チャパゲティ+韓牛」は3つの家族の暗喩。インスタント・ラーメン2つ(キム家・地下夫婦)と高級国産牛肉(パク家)のミックス。


ⅹⅳ)オラウータンと虫(ゴキブリ・カマドウマ)
 ギウはダソンの絵をオラウータンと間違える。その絵に描かれた「幽霊=地下室の男」は、猿のようにバナナに食らいつき、四つん這いで階段をのぼり、原始的な方法で(=猿)石を落としてギウを殺そうとする。

 邸宅におけるキム家の宴会で母チュンスクが「パク家が帰ってきたらゴキブリのように逃げる」とジョークを言うが、その後本当に彼女以外のキム家はゴキブリのように机の下に隠れる。
 冒頭、ギテクがテーブルの上にいた곱등이:カマドウマ(便所コオロギ)を跳ね飛ばす。
 ピザの箱の内職時、家にいるカマドウマを殺虫するため窓を閉めずに消毒されるシーン。
…まるでこの家族も虫のように消毒を受け、みんなむせ返っている中、ギテクだけが黙々と手を動かしている。
→パク社長の家からみんな追い出されたが、ギテクだけがしぶとく生き残る暗示。
監督:「ギテクが窓を開けとけと言った手前、ゴホゴホするわけにいかないので大丈夫なふりをしてた」
 地下の男が久々に地上に上がる時も両手足を使って虫のように這い上がる。
 最後、ギテクがギウへ送ったメッセージには地下生活について、「命をかけて食べ物を食べに上がらないといけない」→虫と同じ。


ⅹⅴ)雨による対比
 大雨の夜において、強く降る雨、激しく流れていく濁流、水没していく家、カオスな情景が精神状態をもカオスにし、特にギテクの感情が吹き出した。
⇆足元の激しい濁流を見つめるギウのやるせなさ
 ギテクの家は大雨で水没し、体育館へ避難を余儀なくされた。
⇆パク社長の末っ子ダソンのおもちゃのテントは大雨にも耐え、濡れることなく朝まで眠れた。
翌日はダソンの誕生日パーティーで、金持ちにとっては大雨のおかげでPM2.5もなくいい天気になった。
…おもに2015年以降中国が半島の近くに増設した工場が大気汚染に大きな影響を与えたので雨を喜ぶ韓国人は多い。
 パーティー服を選ぶ際、体育館に山積みにされた支援の古着から選ぶ。
⇆パク家はクローゼットにあるたくさんの服から選ぶ。
 
 監督:雨のモチーフはヒッチコックへのリスペクト

 水は登場人物たちを翻弄する不変で普遍な存在。
→言葉や情報、そして社会の上から下へ流れる理不尽な出来事のメタファー。
 
ⅹⅵ)地下室の男の人生
 終盤、地下室の男は、ギウを半殺しにして包丁を持って庭に出たにもかかわらず、富裕層たちのうしろでしばらく立ったままの状態でいる。
→内向的でシャイな性格の彼が凄惨な暴力に出る不条理と悲劇。
  家政婦ムングァンの夫が暮らす地下室には法律関連の書籍が並んでいる。国家・司法系資格は、韓国社会の庶民にとって貴重な成り上がりルート。しかし年を重ねても合格できなかった結果、就職口を見つけられない人々が多い。台湾カステラとおなじく、彼が努力してきたこと、格差社会の不条理を表すシーン。
…貧しい暮らしをしていても博学、しかも建築や音楽を楽しむ教養も。
ギテク一家も全員無職だったものの、それぞれ英語や美術、運転、家事など技術有り。
⇆金持ちではあるが特に能力がないパク社長の妻ヨンギョとの対比
 台湾カステラは、2010年代韓国で一大ブームになって店が乱立したものの、TVが「悪質な化学物質を使用している」デマを報道して、多くの自営業者が閉店に見舞われ、ギテクもこの事業で失敗。


ⅹⅶ)性欲
 首にしたユン運転手におけるギジョンの”パンティ”をプレイに使用、”薬”が欲しいなど、表面上はジェントルで上品なパク社長夫婦も、軽蔑していたユン運転手と所詮同じだということを示唆。
 地下にある”コンドーム”をわざわざ見せるシーンで、金持ちだろうが貧乏だろうが、みんな同じ性欲がある人間で、どんなところに住んでいようとも人間の営みがされているという示唆。
 監督:「テーブルの下でパク夫婦の営みを聞いているギテクのショットにおいて、聞いているギテクの心理や精神的な圧迫感に合わせて音楽も調整されている」
 子どもたちの前で自分の「臭い」について言われたり、夫婦の営みを聞くことになってしまった父ギテクの精神状態
→ここからギテクの笑顔が消え、クライマックスへ。


ⅹⅷ)臭いと一線
 臭いとは、親しい仲でもなかなか話題にすることができない内密で私的な部分、礼儀や尊厳にも関わるセンシティブなもの。
 ギテク家族がどんなに外見をうまく偽っても臭いだけは変えられなかった。
 一方、パク社長の「一線を越える」というセリフ。彼はギテク、使用人たちとの間に一線を引こうとした。
…彼には「ここから先は入るな」というラインがある。パク社長にとって、貧しい世界は見たくないもの・自分には関係のないもの。本作では互いの臭いを近距離で嗅ぐことができる状態が多く、(ラインを越えて)臭いが入ってきてしまう。
 ギテクはパク社長に「奥様を愛しているか?」と2回も尋ねる。
…ギテクは人間なら誰でも持っている愛という感情で連帯感を感じたかったが、パク社長の答えは曖昧で距離を保持。
→パク社長は使用人の仕事に敬意を払いつつも、身分相応な振る舞い、一線を越えないことを望み、一方で「地下鉄に乗る人たちのような臭い」を侮辱することで人間の礼儀、尊厳の一線を越え、それを目の前で見たギテクも瞬間的に一線を越えた。


ⅹⅸ)桃
 桃は”気立ての良さ”といった花言葉があり、桃の香りがギテクたちを包むことは、身分を偽ろうとすることへの裏返し。洪水後の車の中でヨンギョが「なんか臭うわね」と言うのは、そういった化けの皮に対する疑惑を描写。


ⅹⅹ)階段・太陽の光による対比
 階級・貧富の差を物理的に表現。
 金持ちで資産家のパク社長の家は高台。
⇆ギテク一家は高台よりも下の街、そのまた半地下(しかもトイレよりも下の位置)。パク社長の家に行くには多くの階段を上がる必要あり。
 パク社長は階段を上るシーンのみ。
⇆大雨の日に逃げてきたギテク、ギウ、ギジョンは下へ下へ長い階段を下る。しかも上から下へと濁流が流れていき、高低差を強調。

 ギウが面接に向かったパク社長の家は太陽の光が燦燦と降り注ぎ眩しく、大きな窓からは陽が入ってとても明るい。
⇆ギテクの半地下の家は斜めに光が入ってくる薄暗い部屋。地下は光すら入らず。
…パク社長の家の光もギテクの家の差し込む光も全て自然光を使って撮影。


ⅹⅹⅰ)計画と結末
 「計画はあるのか」がギテクの口癖で、ギウはそれに呼応するように「計画を立てる」としばしば口にする。
 しかし、中盤で「計画がある」と語ることで子どもたちをいったん納得させるが、しばらくして「どんな計画なのか」と問われた際、彼は「無計画なほうがいい。計画を立てても人生そうはいかない。最初から計画がなければ関係ない」と思考停止。
⇆パク一家は雨で恒例のキャンプがダメになると、思いつきで誕生パーティーを急遽催す。計画という言葉とはまったく無縁で、不意の連絡を受けた人々は、おそらく立てていたであろう計画を反故してパーティーに駆けつける。
→計画よりも”臨機応変”であることが彼らの世界では求められる。ギウがその光景に見入られたように二階から見下ろすシーンが示唆的。

監督:「”押すから痛い。押さないで”と言っていたギジョンが助かり、石で酷く殴られたギウが死ぬように思えるが、実際は逆」
→人生に絶対はない、不確実(≠計画的)
 「ギジョンが死ななければならない必然性は全くない。この家族が払わなければならない代償が最も悪い形ででてしまった」
 「ギテクも社会的死・Self punishmentを迎える。家が空いた時に出ようと思えば出られたのに、そのまま本人の意思で残った」
 「ギテク家族が悪党というわけでもなく、計画して犯罪を犯したわけではないが誤ってしまった。パク社長の犠牲もあり、ギジョンが代償を払う形になり、その罪悪感で自らを罰した」


ⅹⅹⅱ)デカルコマニー(転写絵)[https://korea.kaigai-drama-board.com/posts/719?p=2、映画「パラサイト 半地下の家族」、あなたがまだ知らないかもしれない12の豆知識 より引用]
 この映画のタイトルは韓国語で「기생충(寄生虫)」。仮題は「데칼코마니(デカルコマニー)」。デカルコマニー(仏: Décalcomanie)は、紙と紙の間などに絵具を挟み、再び開いて偶発的な模様を得る技法。
 ギテクとチュンスク夫婦はそれぞれパク社長夫婦と同じようにソファで寝たり、息子のギウはダソンのように陽が燦燦と照りつける芝生の庭で過ごし、娘のギジョンはダヘのように2階で自分の時間を楽しむ。
パク社長家族        ギテク家族
父 パク社長:ソファ     ギテク:ソファ
母 ヨンギョ:ソファ     チュンスク:ソファ
息子 ダソン:庭の芝生    ギウ:庭の芝生
娘 ダヘ:2階の自分の部屋  ギジョン:2階のお風呂
 ギウ:「この家が自分の家だったらどこで過ごす?」ギテク家族はパク家族がいない間、完全に入れ替わっている。
また、同日地下の夫婦も同じソファに寝そべり、結果3家族の夫婦が同じソファにいたことに。
 地下の男にギテクは「おまえは計画もないだろう?」と軽蔑するが、結局ギテクも無計画を選び、男に替わって地下シェルターで暮らす。
 本作冒頭、靴下が干された半地下の窓から見える景色からカメラが下に動いてギウが登場。エンディングも全く同じ構図。
→映画全体がデカルコマニー
…デカルコマニーはどんな絵になるかコントロールできない
→映画で起きた事件は全て偶発的
→計画が圧倒的貧富の差の前では通用しないことの示唆


ⅹⅹⅲ)ロールシャッハ
 仮題『데칼코마니(デカルコマニー)』の前の初期タイトルは『ロールシャッハ』。
…スイスの精神医学者の、”ロールシャッハ・テスト”
…ロールシャッハ・テストはインクのしみ(インク・ブロット)の形が引き起こす連想に基づいて人の心理状態を把握できるテスト。
cf)ジョーダン・ピール監督「アス」



【考察】
ⅰ)ピザ屋の内職のシーン
 我々の社会は下に下に世界が広がっていくようにできていて、宅配ピザの会社があり、その社員がいて、配達スタッフという末端に近いアルバイトがいて、その先には箱を組み立てるという末端の内職が存在。
→下には下がいるという我々の社会構造の真理を、ピザ屋のアルバイトと内職担当のキム一家の関係性の中で端的に描写。


ⅱ)二面性を持つ「パラサイト」
本作は「貧しい家族が裕福な家族へ寄生していく」話だが、
監督:「この映画では、お金持ちも“寄生虫”である」
→お金持ちというのは、貧しい人々に寄生して労働力を吸い上げている。
…運転も出来なければハウスキーピングもできない。お金持ちは、貧しい人たちの労働に“寄生”しているということ。
 

ⅲ)韓国社会における格差の現実
 金持ちに対しては、困っている貧困者に気づかない・傍観すれば、いずれ災いが起こるという警鐘、貧困者を救うことはできるのだという希望。
 貧困者に対しては、金持ちにパラサイトしさらに下のレイヤーである極貧者と争うのではなく、計画的に自ら稼ぎ富を手に入れることで極貧者を助けられるという希望、無計画に行動すれば極貧者に転落するという戒め。
 極貧者に対しては、貧困者と争うのではなく、自ら金を稼ぐプライドを持てという励まし。

 貧困者が金持ちを殺すが、パク家の豪邸(=富)を手に入れたのは外国人。貧困者が金持ちに反逆しても、結局富をかすめ取るのは外国人という皮肉と警鐘。

 今まさに、韓国人は本作のギテク:「計画を立てると、それは上手くいかない」という絶望感を抱えている。
 そのため、いかにして全ての人たちが「計画」を持てる社会を構築していくかが韓国社会のこれからの「鍵」で、これは世界に通底する普遍的な課題。


ⅳ)ラストにおけるギウの回想
 ダソンの誕生日会でギウは地下の男に水石で頭を2度殴打される。
…後遺症で妹の死を笑う
→父親を救ったという妄想以外も妄想だった可能性有り。
ex)父親がモールス信号でメッセージを送っていることに気づく辺りから妄想?
→頭おかしくなった人なりに自己完結しようとしたギウの妄想?
 
 また、ギウに関して、序盤はメタファーという言葉を繰り返すが、だんだんと口にしなくなる。
→本作に次々登場するメタファーに呑み込まれてしまったという暗喩?

ⅴ)ギジョンのみが殺害された理由
 キム家の人々が他人から職を奪った・譲られた一方、ギジョンだけが自らの能力で就職した。長女こそ家族でもっとも賢い人間。さらに殺人事件の発生を防げた唯一の存在(地下室夫婦に食べ物をわけようとした)。その彼女だけが殺されてしまう皮肉と悲劇。


ⅵ)本作が持つ映画の力
 監督:「明らかな悪党も天使もいない映画で、みんな適度に悪く、適度に善良で、適度に卑怯で、適度に正直な人々がもつれて破局に至る。」
「私たちがニュースを見るとき、結果だけを見る。それは誕生日パーティーの芝生の上で起きた結果。でも、そこには私たちが簡単に察知できない長い脈絡が存在。」
→その結果に達するまでの複雑な脈絡を2時間に渡り体験していくことこそ、映画の持つ力。
YuTakahashi

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