湯呑

はちどりの湯呑のレビュー・感想・評価

はちどり(2018年製作の映画)
4.8
キム・ボラの長編監督デビュー作、『はちどり』の冒頭、母におつかいを頼まれた14歳の少女ウニが帰宅し、玄関のチャイムを鳴らすしたところ応答が無く、半ばパニックを起こしながらドアを叩いて母親を呼び続ける場面―実は単にウニが集合住宅の階数を間違えていただけと後に明かされるのだが―において、少女は家族から捨てられたかの様な錯覚を覚え、その疎外感が上映時間138分の間、スクリーンの中で生き続ける彼女が世界を見る眼差しと重なっていく。映画の中盤に置かれた、観客に深い印象を残す場面―集合住宅の前に佇む母親を帰宅したウニが見掛け、何度も声を掛けるが母親は気づかぬ素振りで宙を見続けているーでは、ウニが母親の他人としての顔を見てしまった事の不意の驚きと哀しみが、スクリーンを通して私たちにもじわじわと伝わってくる。だから、この映画は少女ウニが周囲の人たちの別の顔を発見する、というエピソードの連なりで形作られていると言えるだろう。それは、厳格な家父長的家族観の下、妻や子供たちへ独善的に振る舞う傍ら、見え透いた言い訳をして愛人へ会いにいそいそと出掛ける父親や、受験のプレッシャーに圧し潰されそうになり、腹立ちまぎれに妹に暴力を振るう兄、家族に嫌気が差して遊び歩き、夜になると部屋に恋人を連れ込む姉、といった家族ばかりの話ではない。学校が押し付ける価値観を疑う事なく、自分を押し殺して勉学に励むクラスメイトや、その中で唯一心を許せる人間だと思い込んでいた親友のジスク、恋人であるスワン、ウニに同性愛的感情を抱く後輩のユリ、といった人々も例外ではないのである。
世界と孤絶し、籠に入れられた小鳥の様に必死に羽ばたきを繰り返してその場に浮遊し続けるウニの姿は、好景気に沸く1994年の韓国社会で、彼女たちがいかに孤独な戦いを強いられてきたかを示しているが、しかし、こうした別の顔を発見する事が彼女の成長に欠かせないイニシエーションであった事は間違いないだろう。
ウニが通う漢文塾の講師ヨンジは、少女が初めて自分と同じものを内面に感じた存在として登場する。マルクスの『資本論』を読み、生徒たちの前で労働哀歌を歌うヨンジは、おそらくは学生運動に励み挫折した者である事が示唆されるが、寡黙な彼女が時々投げ掛ける言葉によって、ウニは救われ、徐々に自分の感情を押し殺す事をやめて家族や友人たちに向かって明け透けな言葉を投げつける様になっていく―しかし、それはあくまで籠の中の小鳥が高らかな声を上げて人の気を惹く様な振る舞いでしかない。
ウニが籠の外へと羽ばたいていくきっかけとなるのは、劇中でも重要なエピソードとして語られる聖水大橋の崩落事故である。施工段階での手抜き工事が原因で、完成からわずか15年で50mの長さに渡って橋が崩壊し、32人が死亡したとされるこの事件は、未曽有の経済成長に狂奔していた韓国民に、自分たちの享受する繁栄が脆弱な基盤の上に立ち、そしてそれがほんの少しのきっかけで消失してしまう可能性を孕んでいる、という事実を思い知らせた。言わば、韓国の人々は自分たちの社会の別の顔をまざまざと見せつけられたのである。
(ネタバレの為、後略)
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