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愛欲のセラピーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

愛欲のセラピー(2019年製作の映画)
1.0
BIFFレポート⑫[患者を本に書くセラピストって、おい] 0点

早口でまくしたてる友人の忠告をありがたく受け取ったシビル。セラピストの彼女は自身が担当している患者を半分にして、残りの時間を念願だった執筆作業に充てることにする。いきなり"来週から担当変わります"と伝えてブチ切れる患者たちには全く負い目を感じていないが、時間が出来ても依然として執筆は進まない。『ソルフェリーノの戦い』『ヴィクトリア』とキャリアを順調に重ねるフランスの俊英ジュスティーヌ・トリエの最新作で、前作『ヴィクトリア』でも組んだフランスの人気コメディエンヌであるヴィルジニー・エフィラを再び主演に据えた二人の最新作である。日本で簡単に手に入るエフィラの作品が『ターニング・タイド 希望の海』のちょい役という時代から長らくエフィラのファンをやっていながら、彼女の作品が続々公開されると非線形天邪鬼なので放置していたのだが、今回漸く劇場で彼女を拝むことが出来た。

残り半分の患者の相手をしつつ、全く執筆が進まない日々。そんな中、新規の患者から電話が掛かってくる。最初は邪険に扱うシビルだったが、実際マルゴに会ってみると中々面白い。彼女は同じ現場で働く主演俳優イゴールとの子供を身籠っており、それを言うか言わないか、堕ろすか堕ろさないかという決断をシビルに委ねてくる。シビルはその話をそのまま小説に書き始めるのだ。職業倫理観どうなってんのよ。そして、マルゴのエピソードに併せて、シビルは昔の恋人との情事や喧嘩を思い返す。治療らしい治療は一切せず、勝手に自分の過去を思い出してエモい想い出に浸っているシビルを只管フラッシュバックで追っていくのが前半である。色々設定がぶっ飛んでいるのと、母親との確執のエピソードが自分と子どもたちへのエピソードに結びつかないのは残念だった。

後半になると、取り乱したマルゴのケアをするために渋々ロケ地の孤島に出向き、抽象的な支持を出して現場を混乱させるパラハワ女監督ミカの補佐として短い時間を過ごす。何度もテイクを重ねることでブチギレたイゴールの代わりに歌ったり、果には"私もうやってらんな~い!"と海に飛び込んだ監督の代わりにシーンを撮り切る羽目になる。実にユーモアのあるシーンの連続ではあるものの、面白い現象を並べているだけなので物語は進まない。そして、シビルはイゴールの圧倒的な魅力に屈してセックス、それがバレてイゴールの元恋人の監督ミカやマルゴからブチ切れられて追放される。患者の恋人に手を出して関係性を崩壊させるとかセラピストとしては完全にアウトなんだが、そのへんを指摘するのは最早野暮なんだと思う。

ここまでくると最早なにが描きたいのか理解できなくなってくるが、最終的にシビルが元恋人と出会って人生終了モードに突入する意味不明な展開を迎えて余計に分からなくなってくる。そして、最終的な結論は"人生なんてフィクションだ、欲しいものは何でも作り出せる!"というもの。そもそも未練タラタラな元恋人とは別れてるし、仕事としても倫理的にアウトなことしかしてないし、自由に生きることと自分勝手に生きることを誤認している典型的な人間に過ぎない。人が何に絶望を感じるかなんて人それぞれなんだが、それにしても描写が少ないし、そんなやつに"人生はフィクションだ"とか言ってほしくない。

ということで、4Kでエフィラさんとアデル・エグザルホプロスを拝めた以外なにも収穫のない釜山ラストでした。

※現地レポート

ベルトラン・ボネロ『Zombi Child』と同じ、スタリウム会場という4Kスクリーンのバカでかい劇場だったのだが、正直そこまででかい箱で観るような作品でもなかった。コメディとあって孤島のシーンは会場も湧いていたが、ラストには皆ポカン?としており、300人近く入れる劇場は満席だったものの、終映後の拍手はまばらだった。釜山のラストにこれか~と思ってホテルに戻ったものの、同じ時間帯にアルベール・セラ『Liberte』を観ていた友人は同作を"人生最悪の映画"と評していたため、そっちよりはマシだったのかもしれないと思うことにした。ただ、そっちの方が話題性があったかもしれないと思い始めている。

これで今年のカンヌ映画祭のコンペ選出作品は6本観たが、昨年と同様に今年も落差が激しい。本作品とセリーヌ・シアマ『Portrait of a Lady on Fire』が同じ土俵で戦えるわけないっしょ。
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