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レ・ミゼラブルのEDENのネタバレレビュー・内容・結末

レ・ミゼラブル(2019年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

01/29/2020

最初20分くらいは、なぜこれが “Les Misérable” なのか?と思っていたが。

まず、クリス?こんな最低な警官いるのか?最低すぎて途中から彼らが本当に警察か疑ってしまった。15歳の女の子に対してバス停での行動。他人のものを壊し、傲慢でさをつき出して命を蔑ろにする。Issaが死ぬかもしれないのに自分たちの体裁を優先させる。これが本当に警官?

彼ら警察が「権力」でそれに対抗する「Issa含む子どもたち+市長」(この人も本当に市長?って感じだけど) でそのrebellious さをフランス革命の様子と重ね合わせているのかな?と思えけども、一方で、警官3人の生活の様子も描くことによってただ「権力(悪)」vs 「市民」にしたいわけではなかったと思う。

最後の
Remember this
There is no bad plant
There is no bad man
There is only bad cultivator
の意味は?

警官3人(特にクリス)にもそれぞれ大切な人がいるということを映していたのは、There is no bad man であることを示していたのだと思う。それでもやはりクリスの行動は許しがたいが。

ドローンのチップスを盗もうとするところでは、思わず息をとめながらみていたよね。もちろん、完全にあの少年が逃げきるように願う気持ちで。

パラサイトを昨日みたことによって、私がいかに生ぬるく生きてきたのか(生ぬるく生きることが許されてしまうような場所にいるのかのか)ということをまた実感した。

「非暴力の抵抗」それで成功したキング牧師の例もあるけれど、それは支配する側がそれを美化することによって彼らに抵抗させないための、抑圧の一種でもあるといえる。「非暴力は素晴らしいよね(だから暴力をふるうのは悪だから、暴力で対抗して来ないでね。そうすればこっちもあなたを永遠に支配しこき使うことができるから」という、支配側の行動の正当化のためにその言葉が使われることが可能になる。そのことを忘れてはいけない。私はもちろん暴力は断固反対だけどね。ただ、彼らの暴力だけを指差して批判してその暴力を生み出さないようにすることで権力側が支配しやすくしているようなその社会構造に気づかずに、「彼らの暴力」だけを批判するなということ。自分たちも暴力を振るっているのに。


“What if voicing anger was the only way to be heard ?” というSalahの言葉が心に残ってる。

「落ち着いた話し合いをすれば相手はわかってくれる」という世界だけで生きている人たちが「暴力で解決」しようとする人たちをジャッジしたところでそれはただdifferentiationにしかならないのだよ。そしてそこに「品」や「格」を前者が見出すことによって「We are better than you」ということを自分たちにリマインドしているだけにしかならないのよ。


私は本当に生温い中で、(パラサイトで言えばアイロン)を使ってもはや自分自身がアイロンになってしまっていたな、ここ2年くらい。

“反抗的”であることに、ダサさや幼稚さを見いだしてしまった瞬間にどんどん自分が「抑圧側」「支配側」になっていく。自分が気づかない間にどんどん人に暴力を振るうようになり壁になっていく。「本当に反応しなきゃいけないようなこと?→そんなことない」というマインドに持っていこうとすることは楽だし(というかそのマインドに最終的にもっていけたこと、そして楽になれたことがそもそも幸運なことでもあるんだけど) それを繰り返して行くたびにどんどん自分が何に対しても「これは大したことない」と思うようになり、そのうちにひとを制圧していく。イヤだ、そんなの。。。

最後の、Issaの表情よ。彼らのこれからを想像せずにはいられないよね。どうやって年を重ねていくんだろう彼らは。



空間演出について書いていらっしゃる方がいたけど、この監督の空間の描きかた(鳥の目も含め) は確かに印象的だった
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