お金がないということ以上に、就労環境と雇用形態がもたらす心身ともに不健康な状態に心が痛む。それは家族にも伝染し、前向きな考え方さえも搾取されている。
家族のため、子どものために一生懸命に働く。その一生懸命が他の誰かと同一の度量だとしても、同じ見返りがあるわけではない残酷さが描かれている。負の機械仕掛けを動かすための歯車にされてしまう人々がいることを放任する社会、それでも稼げるならばと捨て身の覚悟で飛び込む人たちを利用する雇用主、将来のことなど考えている余裕は一切ない。
社会を反映したドキュメンタリー的なつくりとは裏腹に、映画的な演出も光る部分が多々ある。
劇中、1軒目の配達先で荷物が重く、「中にゾウでも入ってるんじゃないか」みたいなニュアンスのセリフを言う。その後ゾウを使った演出がもう一度出てくる。父が配送するために使っているバンの鍵を隠され、兄を疑うのだが、実は妹が隠していたというシーンに登場する。妹が鍵を隠した場所がゾウのぬいぐるみの中なのだ。
妹が家族のバランスを悪くしている根源は父の配送業だと思い、その象徴であるバンの鍵を隠す場所にグッときた。本来スカスカなゾウのぬいぐるみの中に家族という共同体の重心(足かせ、重り)を入れて重さを表す演出はケン・ローチならではの気概だ。
また、兄が万引きして警察署に補導された際に警察官が説教するシーンに熱くなった。叱っているのだが、家族の内側からは言われないであろう視点で、お前みたいな奴でも見捨てずに愛してくれる親の愛を胸に刻めと説く素晴らしいシーンだった。
お母さん役の人も素晴らしい。おだやかで丁寧な人柄がにじみ出ているのだが、そんな彼女でさえも口が悪くなったり、激昂したり、言い返したりしてしまうまでに至らしめているものの正体を考えてしまう。
幸せとは思えない状況を作っているのは、社会に生きるそれぞれ本人の責任、自業自得ではない。こんなにできた人間性の人であろうと苦しめられている。それって他に理由があるでしょと改めて考えずにはいられない。
本作の締め方にも切羽詰まったものを感じた。働く目的の前提が家族を守るためから生きるために繰り下げられている現状は、貧困よりも深刻な問題なのかもしれない。