まぬままおま

Winnyのまぬままおまのレビュー・感想・評価

Winny(2023年製作の映画)
3.8
winnyと言えば、マキシマム ザ ホルモンの「え・い・り・あ・ん」の歌詞の中でしか存在を知らなった。だから私にとって、winnyは使用の経験もなければ事件化も知らないものだった。

そういった経緯から本作をwinnyの開発者・金子勇が弁護士らと協力して不当な逮捕から無実を勝ち取る物語と読み取ったし、実際そのような物語として意図されている。
東出昌大もやっぱりいい役者だ。金子の技術に対する無邪気さとそのやばさを演じており、もうこのキャスティングができたことで本作の成功は言うまでもない。
ただやっぱりその「やばさ」には、注意を向けるべきではないかとも思う。すなわち技術に対する倫理の問題を。

本作はwinnyの事件を取り上げるのではなく、愛媛県警の裏金問題を告発した仙波敏郎の物語も挿入されている。それはwinnyの犯罪が匿名性をもって遍在的に行われたのと対比して愛媛という限定的な場所で具体的な人物が犯罪を告発した事象を取り上げたかったからだろう。もちろんwinnyによってその告発の裏付けとなる証拠が流出して、公権力の犯罪が明るみになったという側面もあるのだが。

それと同時に仙波の物語で対比されるのは倫理の問題である。告発には大きな代償が伴う。実際に彼は以前から裏金作りに加担をしなかったために昇進ができず駐在所に左遷されている。告発後も様々な圧力がかかった。だが彼は警察官としての倫理観に従い内部告発を決心したのだ。
では金子はどうなのか。私は金子にもwinnyに対する責任は生じると思う。本作では金子のwinnyに対する責任を包丁に例えて述べている。いわく包丁をつくった人には、他者が包丁で殺人を行っても責任は問われないと。だが包丁だって、その便利さと共に危険を予測し、銃刀法が国家として整備され、不要に持ち出せば犯罪になる。物体に罪はないかもしれない。だが物体を使用する私たちには「どのように」の問いが常に付され、社会的な措置がとられるはずである。ではwinnyには?検察側の反論にあるように、金子がどれだけ危険を予測し、「2ちゃんねる」を世に放ったのかは本作をみても分からない。いやおそらく考えていないのだろう。となれば、金子にも技術者としての倫理観が必要なはずである。おそらく金子の「やばさ」はその倫理観の欠如に起因するはずだ。

本作では金子の倫理の問題は主題化されない。むしろ金子は、無実の罪を着せられた犠牲者となっている。しかし少し調べればwinnyによって国家の機密文書が大量に流出し、市民の安全が脅かされた事実がある。それは個人が音楽を違法にダウンロードするのとは比べものにならないほど重大なことだーもちろんその行為も許されるわけではないー。私たちがアナーキーな秩序を求めるラディカルな政治態度でない限り、そして半ば金子の逮捕を公権力の陰謀のように描きすぎている点に注意すれば、使用者だけに倫理が問われるべきではなく、危険を予測し、防ぐシステムの開発と環境が金子にも求められるはずである。だから本作に一貫してあるwinnyというテクノロジーをその技術レベルの高さだけで称賛し無批判に許す態度は問題がある。

「winnyの法整備は金子の仕事ではない」といった批判は想定される。確かに実務においてはそうだろう。しかしwinnyが既存の法外の存在であるように、金子にも実定法外の倫理が求められる。アインシュタインが物理の理論の探求だけを仕事にしたのではなく、先の大戦の反省から平和/政治活動を行ったように、科学者や技術者にも倫理が求められるはずである。

金子は不当に逮捕され、数年に及ぶ裁判に巻き込まれたことでwinnyに関する法の整備に寄与したのだろう。だが本作で描かれた出来事を裁判劇にするのではなく、技術が常に社会と密接に関わっている以上、科学技術者にも倫理が求められる証例にしなければならない。そしてそれを見出す使用者の私たちにも。