このレビューはネタバレを含みます
ドラキュラ退治の旅を続ける教授と助手は、ドラキュラとその許嫁が或る修道院によって別々の場所に閉じ込められているのを知る。が、修道女たちは、ドラキュラと許嫁の管理を長年し続けている影響で、半ば狂気に染まってしまっている。一方、食人鬼・吸血鬼・人狼らで構成される”パラレル”の者どもは、ドラキュラと許嫁の二人を結婚させ、ドラキュラ復権と世界の転覆を目論んでいた。
面白いのは、ドラキュラは柱時計の姿をした棺の暗闇の中で「イメージ」としてのみ存在していることだ。”パラレル”は生身の体を持つ許嫁との結婚によって、ドラキュラに肉体をもたらす=この世へ復活させようする。
挙式当日、今まさに復活せんとするドラキュラを見た修道女たちが正気(というのか?)になり、映画は教授らドラキュラを滅ぼそうとする者、”パラレル”らドラキュラに肉体を与えんとする者、善悪双方の命を等しく奪って終わる。ドラキュラは花嫁とともに、永遠に手の届くことのない「イメージ」の存在へ戻って生き続ける。肉体を持つ者は滅び、「イメージ」だけが生き残る。誰も二人に触れることは許されない。
最後の椅子に座った老女は、ドラキュラをタッジオに重ねた『ベニスに死す』か。それはスクリーンを見つめる映画観客、我々自身の姿にも見えるだろう。