ぎょうざ

ゾンビの中心で、愛をさけぶのぎょうざのレビュー・感想・評価

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今流行りの“外出自粛映画”。
ゾンビが蔓延し、政府によって生きている国民は自宅にて救助を待つことになった、というところから始まるゾンビ映画。
色々な人間関係などから解き放たれ、ただただパートナーと向き合うことを余儀なくされた時間。
離婚寸前だった主人公夫婦は、そんな時間で、お互いのことを少しずつ伝え合い、ともに生活していく。
外はゾンビだらけで世界が滅亡しかけても、二人は少しずつ、冷めた愛を温め直していく。

ゾンビを見るといつも思う。
愛は、人類にとって最も最後になくなるものなのではないだろうか、と。
肉体が滅び、脳は機能しなくなり、人間としての尊厳を失いながらも、ゾンビたちは最も単純な日常をアウトプットする。
その動きがまたインプットされ、反芻して、ゾンビは人間だった頃の最後の一部分だけを大事に動いている。
脳を含めた肉体が滅び、記憶媒体は消え失せたのに、どうしてゾンビは人間の部分を持ち続けるのか。
その記憶の所在は、心なのだ。実体のないその器官は朽ち果てることがない。
私達はそこに大事な記憶を落とし込んでいく。
その副産物を、愛と呼ぶのではないか。
肉体などは当然のこと、世界も、地球も消えてしまうだろう。
形のない愛こそが、唯一の圧倒的に普遍的な概念として、存在しているのかもしれない。

この映画を通して、改めて愛の築き方を考えさせられました。
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