Ryoma

生きるのRyomaのネタバレレビュー・内容・結末

生きる(1952年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

前半と後半で大きく語り口が異なる。前半は、自らの命がそう長くないことを知って、焦燥と絶望の中で街中を彷徨する、主人公の日々。後半は、そんな主人公が死んでしまって、彼の通夜の席で同僚や家族の口から語られる、主人公の最期の日々。僕は、前半部分は率直に素晴らしいと思った。ハッとさせられるショットの連続で、傑作を観ているんだという素晴らしい心持だった。しかし、後半部分は「くどい」「押しつけがましい」の連続だった……
後半は、主人公が亡くなり、通夜が行われ、彼の生前の様子を、通夜の席で同僚や家族たちが回想するという「市民ケーン」そっくりな演出である。で、それは結構思い切った演出なんだけれど、主人公の回想シーンよりも、関係者がべちゃくちゃ喋るシーンの方が長いということが、大きな失敗だと感じた。なんせ、僕が思うに、いい映画っていうのは、台詞も重要なんだけれど、やっぱりショットの連続で語っていくものだと思っていて、だけれどこの映画の後半部分は、重要なテーマや、本来観客に投げかけられるべきテーマが、全部通夜の席を通して、関係者の口から、どんどん語られちゃうのだから、詩的な感覚も何もない。おまけに役者の演技が臭いし、ずっと通夜の様子を映していて退屈だし、直接的な役所批判の演出が多いし、かなり欠点があると思った。いいシーンと言ったら、最後の方に回想される、主人公が雪の中でブランコをこぎながら、ゴンドラの唄をなんともいえぬ声でぼそぼそ歌うシーンくらいで、あれは非常に詩的だったと思う。が、他にそれに匹敵するシーンはなかった。
しかし、そんな後半部分に比べて前半部分は、素晴らしいカメラワーク、詩的なショットの連続だと思った。例えば主人公がとぼとぼ歩いていると、急に、大きな音を立てて、何台ものトラックやら車やらが、火を噴くように主人公の前を横切っていって、後に残された主人公は、呆然と立ち尽くしている、というシーンがあって、このシーンを、カメラが大きく後退しながらズームアウトし撮っているのだが、このカメラの躍動感が、主人公の感情の大きな揺れ動きをばっちり捉えていて、素晴らしく映画的だった。前半部分は、そんな映画的なシーンが多かった。
だから僕は、この前半の素晴らしさが後半も持続してくれればよかったのにと、観終えた今感じる。つまり、僕の中で、主人公の「死」と同時に、物語の「詩」も、死んでしまったという訳だ。
Ryoma

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