生きるの作品情報・感想・評価

「生きる」に投稿された感想・評価

アキタ

アキタの感想・評価

4.0
ハッピーバースデーのシーン、
鳥肌が止まらなかった...

好きすぎる演出
フロントガラスのフレーム越しに映る、画面後景へ走る霊柩車のショットには、可視化された彼岸性があり、ラストの公園からの橋へのローアングルトラッキングには志村喬の意思と合致した境界性の幸福があって良い
葬儀の場面で画面最後景に位置する志村喬の遺影は、一点透視図法のパースに擬せられていて、超然的、脱人格的で良かった
記:12月1日(日)

12月13日(金)公開の
🎥「カツベン」のいろいろな記事を
読んでいたら出てきた作品だったので、と、前々から気になってた作品でも有ったので、更に数日前に三船さんのドキュメンタリーを観てみて
観たくなったので、鑑賞です☺

感想は追々☺
poma

pomaの感想・評価

5.0
人が本当に死ぬのは心臓が止まる時ではなく、人々の記憶から忘れ去られる時。渡辺は黒江町の主婦たち、木村、そして私たちの記憶の中で生き続けている。
黒澤の人間愛溢れる賛歌
橋川

橋川の感想・評価

4.5
 戦後初期における官僚制批判と民主主義の形を模索する作品といえるだろう。まずこの作品から読み取れるものは、「民主主義と官僚制は本質的に対立する」ということだ。官僚制とは、組織の合理化により民主主義的な手続きを進めるための技術であり、人類史上の「発明」である。しかし、本作においては、ある市役所内部におけるセクショナリズムを描くことで、官僚制と民主主義の対立的な図式を表現している。つまり、行政組織内における官僚制的な専門分化を進めれば進めるほどに、各々の職掌を超える課題について対処することが不可能になる。官僚制内部においてその駆動因となるはずの官僚たちは、その主体性を徹底して奪われることになり、市民からの直接的な問題の提起があれども、そのことに官僚制の内部から応答があることはなく、具体的な政策の形成には結びつかない構造が生まれるのである。この点において、官僚制と民主主義は本質的に対立するのだ。
 本作の主人公である市役所の課長である渡邊も、こうした官僚制組織を構成する「官僚」の一人である。それまで、文字通り職場で「何もしていな」かった彼は、胃がんになり、自身の生を見つめなおす中で、かつての同僚で市役所を辞めておもちゃ工場で働く小田切から「渡邊さんも何か作ってみたら」と叱咤される。この後、彼はかつて市民から直接的な問題提起があった公園建設に着手し、組織構造の軋轢に苦心しながらも最後にはセクショナリズムを乗り越え、公園の完成後、園内で自死を遂げる。
 人類学者のデヴィッド・グレーバーは官僚制の技術について、「詩的テクノロジーから官僚制テクノロジーへの以降」というテーゼによって論じている。いわく、「官僚制的テクノロジー」のもとでは、「実現可能性」の前提のもと、人々の想像力は極端なまでに切り縮められ、各人の想像/創造的な主体性は無いに等しいものとなる。それに対して「詩的テクノロジー」とは、「官僚制的テクノロジー」に対置されるものではあるが、官僚制による合理化の向かう方向が異なるのだという。「官僚制的テクノロジー」も「詩的テクノロジー」も官僚による集合的な行為活動が前提となる点は共通している。官僚制による人々の集合的な力能の行使は、用い方によっては、途方もなく巨大な像や、長大なインフラ整備など、人間の一人一人の力では不可能に思えるようなものを生産することも可能にする。このことについては、人類史上の支配者らが行ってきた開発政策が具体例を示すこととなるだろう。このように、可能性の枠組みを超える想像力こそ「詩的テクノロジー」である。グレーバーは、この「詩的テクノロジー」が「官僚制テクノロジー」に奉仕する形態こそが現実の官僚制の姿であるとする。
 本作における渡邊の公園建設とは、「官僚制的テクノロジー」のもとで主体化された「官僚」が、「詩的テクノロジー」に目覚め、主体性を再定義するまでの課程である。「詩的テクノロジー」は「官僚制的テクノロジー」のリアリズムを粉砕し、もう一つの世界の可能性を切り開く力を秘めているといえるだろう。
 しかし、「詩的テクノロジー」とは、ピラミッドや万里の長城の建設に途方もない数の奴隷が動員されたことからも、人類史上においてはしばしば強権的な指導者や独裁体制の下で行使され、その内側に不平等、不均等を抱えたものだった。本作における「詩的テクノロジー」は、市民への応答、民主主義の具体化という形で表現されていた。現在的な「詩的テクノロジー」とは、まずもって民主的な形で、非民主的な諸制度を打ち破る力として行使されるべきだろう。
はっきり言って『七人の侍』を観る迄は本作が黒澤明の最高傑作だと思っていた。いや、どちらも甲乙付け難い名作なのだが。あまりにも重苦しいテーマであるのに関わらず黒澤監督にしては軽やかで、説教臭くない演出だったのが何より良かった。

有名な「ゴンドラの唄」ばかりが取り上げられる事の多い作品だが、実際本作は主人公が生きていた前半と死んだ後の後半で大きく雰囲気が二分し公務員である主人公、志村喬の同僚達のディスカッションによって展開が急変していく構成が誠にユニーク。かつトリッキーな作品なのであった。

孤独死という題材自体が現代にも通底するので、いま観ても十分身につまされる内容である。リアル過ぎて怖い程、主人公の「孤独」がヒシヒシと伝わってくる。この時代にこんな風変わりな映画を作る黒澤明はやはり天才としか言いようがない。只々感服する。
ー

ーの感想・評価

4.0
生きるということ
ハッピーバースデー
主人公が口下手な分、怖いくらい訴えかけてくる目に圧倒された。
McKee

McKeeの感想・評価

4.5
普段人は生きている事を意識せずに生きている。最後の時をイメージしてどう生きる事が出来るか。
[20161223]余命が短いことを知らされ、意義のある人生を送ろうとする男の物語。この手の元祖とも言えるような設定で、今となっては古さも感じた。説明のためのナレーションとか、死んでから50分も葬式と回想シーンが続くのはどうなのか。主人公の曖昧な話し方にせよ、テンポが悪いと思った。人の役に立つものを作ることに素朴な喜びを感じる展開や、主人公が生まれ変わった所の「ハッピーバースデー」とかは良かった。
これは定期的に観て自分に鞭を打ちたい

いつも後悔しないような選択をして生きていこうと思っているけど
周りの目を気にして怠け者の自分に何かと理由をつけて結局行動に移せないことが多い

特に周りの目とか本当にどうでもいいものなのに!

役所の席にしがみつくだけの人生
時間つぶしの人生を生きてきた主人公は
死を身近に感じ今までの生き方に愕然とする

皆勤だった仕事を休んで夜遊びをするもなぜか満たされず、最期自分のできることをやり尽くそうと公園を作ることに命をかける

「つまり...その...」
自分の意見すらまともに伝えることができないいかにも生きるのが下手そうな主人公が公園を作り上げるのは相当の勇気が必要だったはず

最後のシーンが良き

自分の人生だからね
責任もって、やりたいことをやって、人を大切にして、目標をもちながらがむしゃらに生きていきたいものですよ
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