りょうた

サヨナラまでの30分のりょうたのレビュー・感想・評価

サヨナラまでの30分(2020年製作の映画)
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音楽映画の批評に弱いのは相変わらずだ。なんせ80’sの洋楽か映画のサントラばかりヘビーローテーションしているから、現行の日本音楽シーンに疎い。ヒット曲が出ても、聞くのはテレビドラマの再放送か量販店のbgmになってからだ。誰がどの曲を歌って、それのどこがいいのかを論じるなんて、今の自分には不可能に近い芸当だ(幸い妹が『関ジャム』を毎週録画しているからそこから始めようと思う)。よって、音楽映画の今作を音楽面から批評することは、年末に見た『花と雨』同様に放棄せざるを得ない。同作及び今作の製作にあたった皆さんにはその点で正当な評価ができないことを申し訳なく感じる。まだまだ勉強が必要だ。

実は自分は今作の前知識、つまりあらすじや予告編に全く触れることなく試写会に向かった。個人的に北村匠海の『君の膵臓をたべたい』(と映画館で流れる万葉倶楽部か何かのCM)での好演が強く残り、さらに年末に見た『カイジ/ファイナル・ゲーム』で完璧に痛い目を見ていた新田真剣佑が近作でどのような演技を、もっと言えばどんな扱いを受けているかが気になり今日に至った。要するに映画の内容云々以前に、旬の2人の演技を観るために行ったようなものなのだ。そして実際、その面で今作は最大限の成果を上げていると言って間違いない。新田真剣佑は存在一つでナシをアリに変え、北村匠海は演技でそのアリとの切り替えを見事に体現して見せた。またこれは怪我の功名と言うべきか、彼ら2人が出演することと音楽映画だということだけを挑んだ為にその無茶な物語設定にかなり驚かされた。と同時に、序盤から中盤にかけてのその無茶の表現がなかなか上手くいっているのにも関心させられた。恐らく観る方はほとんどが予告を見て行かれるだろうが、ここでは敢えてそこは明言せずに、『ゲット・アウト』の真相の完全陽性利用バージョンとだけ言って話を進めようと思う。つい最近Netflixで『ブラック・ミラー』に触れて以来、今作で扱われる”意識”というものについて考える機会が増えたので、非常にタイムリーだったとも言える。日本映画で定期的に湧いて出る幽霊ドラマのそれとは違い、作品内の理屈が(若干の無理込みで)通っている非スピリチュアルさがなかなか新鮮な一方で、厳密には本人ではないという薄ら寂しさが終盤のある展開を感動的に盛り上げてもいる。一人の女性を二人の意識が奪い合う多重人格的な怖さ/危うさが一瞬垣間見えたり、主導権を持っていない方は状況を第三者的立場から見るしかないという蚊帳の外感が、青春映画のヤキモキするあらゆる表現に活かされているのは手堅いところ。実質は二人なのに三角関係が出来上がっている状況は、よく考えると構図的に新しく、人物相関として無駄がない。この部分の設定と物語展開の繋がりは、なかなか考えられた面白いもので見応えも充分だ。それは設定もさることながら、やはり三角関係の中心にいるヒロインの魅力によるところが大きい。ヒロインを演じる久保田紗友がとにかく素晴らしい。果たして野菜を切っているだけであそこまで力強さを感じさせる女優さんがいるだろうか。初登場時の走り姿/目を瞑った時の無防備さ/口をキッと結んだ凛々しさ、弱さと強さの同居する自立したキャラクターを久保田さんは限りない実在感を持って演じ切って見せている。今後の活躍にも大いに期待したい。彼女まわりの演出は非常に細やかで気が利いている。例えば、彼女が使っている料理本は何かに注目してみると、物語の前提にある悲劇にどう対処したのかが言葉なしで伝わるようになっている。で、実際に作った料理が本当に美味しそうに映るから、映画館の売店であの本を売ったら絶対に売れるだろう。久保田さんと食べ物が写る場面の多幸感と物語的意味合いは、他の比ではないくらい濃い。
また楽曲のことにはあまり口を出せないが、少なくとも大学生バンドグループが作った曲という設定上ではかなりうまく機能しているはずだ。何よりそれを歌う北村匠海と新田真剣佑の歌唱力が高いから、一切のノイズを残すことなくすんなりと観客の耳に浸み込む説得力を生み出している。二人の人間が同じ歌を同時に歌っているという見せ方の難しい場面で、主演二人がこれ以上ないシンクロを見せるから、中盤のシーンなどは相当な強度を持った音楽映画的場面になっている。恐らく北村さん及び新田さんのファンも、完全な一見さんも、ここで大多数が心を掴まれるはずだ。(チラシを見た妹曰く、)楽曲を書き下ろしているメンツが相当豪華なようで、完全に物語とリンクする体制がかなり整えられている。一曲一曲の印象が薄いのは否めないものの、シーンごとの映像表現との親和性は高く、違和感が全くないのはそもそもすごいことだ。

ここまで書いたとおり、役者陣の好演は心の底から保証する。彼ら三人の最新作として見れば何の文句もないし、実際楽しめる。楽曲もしっかりしているから、音楽映画としても多くの人がこれを高く評価する人が出ても不思議ではない。しかし自分は前述した良点を顧みて、もっとできただろうと思わずにはいられない。
今作の中心は、新田真剣佑と北村匠海と久保田紗友の三角関係で、この部分は少なくとも終盤に差し掛かるまでは非常によくできている。ベタだが確実に響く描写の連続で、正直胸の張り裂けそうなシーンもある(ベンチのシーン。あれはヤバい)。だがそれに対する周りの人物、特に中心人物であるはずのバンドメンバー三人の話の取ってつけたような消化試合的役割分担は悪目立ちしている。それぞれに葛藤を抱えている人物たちで、てっきり彼らの心の機微も徐々に描いてくれるものだと自分は期待したし、他の観客もそう思ったはずだ。この三人を演じている役者さん(葉山奨之/上杉柊平/清原翔)も存在感がある人たちだから、各々に場面を与えれば確実に役割を全うしただろう。しかし劇中では、びっくりするほどあっさりと、勝手に三人は三人で心を決めてしまう。「彼らの問題はここでおしまい、あとは主人公たちの三角関係を楽しんで!」という思いきりの良い展開だと忖度することもできるし、バンド=夢を追い続けるという今しかできないことに対する情熱を北村匠海の主人公に統合するのもいいが、それではあまりに他のメンバーがかわいそうだ。その後のキャラに与えられた単独行動も、より感情の動きをわかりづらく現実味のない作り物に見せている。特にラスト周りはすさまじく、本番前日に重要人物がバックレたらあんなクールな態度はとれないはずだろ!、とツッコまずにいられない。百歩譲って主人公に対する信頼が彼らの態度を柔和にしているとしても、より安心した表情やモーションをさせるべきだろう。ご都合主義かつ盛り上がらない謎の演出になっている。
ただ彼らの立ち位置や役割が微妙になっている原因を、新田真剣佑のキャラ設定に見ることも可能だ。詳しくは実際に見て確かめてほしいが、彼のキャラクターはまずもって現実味の無い無茶なキャラクターなのだ。作詞も作曲もピカイチで、一途で優しく、失敗を知らない青年。この“失敗を知らない”というところが大問題で、物語の前提の一つであるバンドの解散が半ば彼の態度によるような描写もあるのに、そこについて反省する瞬間やその場面を顧みる様子が一切ない。そもそも何かを反省するシーンも、解散の原因(事故以前)が何なのかも明確にないため、バンドメンバーの決心が勝手に落ち込んで勝手に立ち直ったようにしか見えないようになっているとも言える。なまじ北村匠海のキャラクターが非常に現代的で感情移入できる孤独さを纏っているから、相対的に他の主要人物の実在感・リアルさが一気に下がっている、もしくは描き方がステレオタイプにハマりすぎて浮いているのも確かだ(バンドのメンバーは久保田紗友を除いて例外なく漫画的なキャラ。もっと言えば北村匠海の描写にも、孤独=根暗に対する偏見と蔑視が見え透く場面が一つある。彼の言う考えにも理がある分、そこからの転換が分かりずらいのも否めない)。中盤までは三角関係とバンド再興に焦点を当てたため目立っていなかったそれらの欠点が、終盤のフェスに向かうにつれてボロボロと見えだし、登場人物の行動一つ一つに作り手の都合、ラストに向けての駆け足を感じさせてしまっている。
折角のオリジナル楽曲の使い方も非常に惜しい。実は前半終わりまで両主人公が歌う場面がなく、溜めて溜めてライブハウスの場面に繋がるのだが、ここはオープニングでまず在りし日のバンドの多幸感に重ねてちゃんと新田真剣佑率いるバンドの演奏シーンを入れておくべきだろう。それがあれば、新田真剣佑の存在の大きさを表すと同時に、中盤の北村匠海出現の驚きをより強調出来たはずなのだ。本当に惜しいし、単純に彼らが歌っている場面が少ないのが残念で仕方ない。その印象はラストでより強いモノになる。フライヤーでも大々的に紹介されているフェスの場面なのだが、ここの描写がまた惜しい。そもそもフェスで始まりフェスで終わるのが冒頭で暗示される今作。この構成自体は『ボヘミアン・ラプソディ』を想起させるが、肝心の終わりが明らかに燃焼力不足だ。これはひとえに、やはり新田真剣佑と北村匠海の歌をもっと聞きたいというところが大きい。ここはかなり感情の起伏と物語へのオチの付け方が感動的な分、その拍子抜けする構成にちょっとガッカリさせられる。衒いなく劇中の楽曲を、今作で誰より成長した“彼”の独立した声でメドレー的に演奏すれば…間違いなく名シーンになっていたはずだ。

ここまで散々重箱の隅をつつきまくってきたが、全体を見れば全く悪い作品ではない。何度も書くが、演技も楽曲も申し分ない。細かいことを気にしなければ、日本産の音楽映画として十分楽しめる。ただ、本当に惜しいのだ、もっとできたはずなのだ、絶対に…。


追記: 
冒頭の数年間を描くモンタージュは否が応でも上がるし楽しい。細かい場面転換も小技が効いていて、観客を飽きさせない工夫が凝らされている。ただ書いておきたいのが、フェスシーンの撮り方だ。実際のフェスに行ったことのない自分が言うのもなんだが、あんな撮り方は絶対してはいけないだろう。すごく狭い敷地に中途半端な人数が集まっているスケールの小さい画面構成…これを大学生バンドの規模だと言われればそうかも知れないが、ソニーミュージック主催のイベントだと間接的に説明しているのだから、もっと広く、人も多くするべきだろうに…これがラストの盛り上がらなさを助長している。一瞬ステージから見た観客の密集具合が見事に捉えられたカットもあるが、直後に横にパンすると何もない空間が思い切り映るので興ざめしてしまう。だから何度も言うが…惜しい。
日本映画の悪癖、“台詞説明過多”も健在。実際説明が必要な部分は良いが、見事な間接演出がなされた久保田さんにまで、長々と心情を語らせるのは本当に上手くない。
それと、自分は松重豊の演技が好きだということが分かった。あの人も久保田さんも、実在感の人だ。
りょうた

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