蛇らい

ソワレの蛇らいのレビュー・感想・評価

ソワレ(2020年製作の映画)
2.9
序盤の方はかなり心配して観ていたが、ラストを頂点に尻上がりに良くなっていく。

本作の監督である外山文治という監督の作風は、おおまかなストーリー構成の中で、セリフを思いっきり削ってみたり、環境音を長い尺で多用してみたり、風任せと言ってもいいくらいに形式を嫌う傾向にあるように感じる。

本人はそれを観客を信頼しているという大義名分の上で意識的にやっていて、言葉にならないことを言葉に直さないというスタンスだ。本作を三幕構成で分けるならば、設定のシークエンスの部分はセリフ自体に意味を持たせず、事象のみでキャラクターと状況を説明していく。

本来ならエモーショナルに盛り上がる後半で敢えてセリフを削ったり、役者のポテンシャル頼みの構成は後半で生きることが多い。観客を信頼するというある種の自由さは、シーンの積み重ねの果てにあると思う。

その中で本作は序盤からそれをやられるので、どっちにハンドルをきっているのか掴みどころがないような感覚になり、観客が宙ぶらりんになる時間が、事件が起きるまで続く。それをやるならやるとしても、掴みで映画の精神的な輪郭はしっかり把握しておきたいなと感じた。

その後は若者の逃避行ものとして、和歌山というあまり親しみのない、けれどもどの地方にも共通する殺伐とした風景と時折見える雄大な自然のコントラストに青春のアンニュイさが増幅する。

ありがちと言えばありがちな若者の逃避行、ロードムービーにどのような付加価値を与え、着地させるのかと思っていたが、ラストが100点と言っていいくらい素晴らしかった。単に物語としての締まりとしてもうまいが、主人公ふたりの関係性と、お互いに与え合う影響の哲学にとても共感できた。

主人公は役者志望だが、売れているわけでもないし、お金もなく、詐欺師の受け子などもしてしまう。誰かの記憶に残れるから役者を目指していると言う。一方、芋生演じるタカラは父親からの性的虐待の記憶から逃れられず、心の奥底に閉じこもる。

誰かの記憶に残るという簡単なようで、奇跡のような現象において、すべての出来事が自分で帰結するように締め括られるのが、どうしようもなく愛おしい。

また、知り得ること、知り得ないこと、届かなかったこと、知っていたかったこと、知ったこと、これらの現象の交差ほど切なくやりきれない思いになることはこの世界そうはないだろうと思う。誰かが放った思いは、すべての届くべき人にどうか届いて欲しい。
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