阪本嘉一好子

I Am Patrick Swayze(原題)の阪本嘉一好子のネタバレレビュー・内容・結末

I Am Patrick Swayze(原題)(2019年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

このドキュメンタリーを観て勇気をもらった。始皇帝は徐福を遣わして日本で長生きの薬を探した。馬鹿な話と思い、生への執着心が強い人に呆れていた。寿命は天命だが、ただの長生きは無用と。しかし、このドキュメンタリーを観て、57歳で他界したパトリック・スウェイジ(Buddy)の無念さが目に浮かび、私も目的を持って、後10年は生きようと決心した。
彼の演じる映画で観賞したのはアウトサイダー(1983年)とダーティーダンシング(1987年)とゴースト(1990年)でアウトサイダーのお兄さんぶりが一番印象に残っていて、もう一度見たいとも思っている。この3本はハリウッド・エンターテイメント業界を驚かした作品だと思う。

ロブ・ロウは ゴーストがパトリックの中のベスト作品だと。ゴーストの最後のスピーチでタフな男が人々を泣かすことができたと。ジムナストであり、カーボーイであり、バレーダンサーでもあり、広い分野でエキスパートになれる人だと。そして、三人のエンジェル(Thanks for Everything! Julie Newmar)では、この役がとりたくてオーディションを受けたが、パトリックに決まったと残念がっていた。

Jerry Zuckerはゴーストの監督だが、パトリックを主演男優に考えていなかったようだ。『ロードハウス』という暴力でタフな映画が頭の中にあったようだ。オーディションでは落ちたが、パトリックは監督たちの前で脚本を全部読んで、感動させたため、彼が主役をとった。デミ・ムーアはゴーストで共演して、パトリックはソフトな面(美しく、優しい、セクシーな動き)とたくましい面の両面をバランスよく持っていて、セクシーだったことを話していた。

パトリックはゴーストの後、次から次へとオファーが来たが、自分の心がやりたいと思う役がなかった。しかし、シティ・オブ・ジョイで監督は外見で俳優を決めず、彼の演技力で選んだからこれは彼の数多くのアクション映画と違って素晴らしい。セックスシンボルやタフな男という外見にとらわれないでの次の段階に行けたと。ローランド・ジョフィ監督は彼と監督のオフィスであったが、監督のスタッフ、特に女性はみなさんパトリックに会えるので興奮していた。監督は彼のオープンな人柄でパトリックと話しているという意識がなかったと。そして、パトリックはこのストーリーの意味することはないかを知りたがっていた。この話し合いで、パトリックの見解がわかった。パトリックはセックスシンボルやアクションスターから逃げて、自分を模索している苦労をしていることがわかったと。パトリック本人はローランド・ジョフィ監督のシティ・オブ・ジョイ(1992年)のような心のある映画が一番気に入っていたようだ。これは、ハリウッドでウケが悪く、あまり配給されていないような映画になったと。

このドキュメンタリーはパトリックの問題点のアル中以外はあまりふれていない。それも、奥さんのリサがこれについて話しているが、膵臓がんで他界(2009年)する前のほうに焦点が入ってしまい、このドキュメンタリーだけをみると、パトリックってすげ〜奴だと思うかもしれないが、若くて他界した人の欠点ばかり追うのも考えものだ。だから、このドキュメンタリーは彼のチャレンジ精神、俳優としてのプロフェッショナリズム、犬や馬を含めてカーボーイ精神のある家族愛の強さなどのポジティブな面を強調していると思う。

家族のことでは母親はダンススタジオを経営していて、パットリックに厳しく(DV)、その反面、父親は彼をサポートしていて、DVをすれば、離婚すると母親に言ったと。父親の死後、バーバラ・ウォーターのインタビューに父親について答えた時、パトリックは泣いていた。このインタビューはダーティ・ダンシングより、彼を有名にしたと。タフな男が泣いているからだと。

このドキュメンタリーはインタビュー、映画のクリップ、家族の写真 などで構成されている。2019年8月18日、パトリックの誕生日にこのドキュメンタリーはリリースされたと。