久保坂涼

地獄の黙示録 ファイナル・カットの久保坂涼のレビュー・感想・評価

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私は、この作品に対してウンチクを述べることなどとてもできない。それは失礼だからである。

私にとっては、映画は「芸術」でも「文化」ではなく、それに対する書文は「評論」ではなく「感想」である。

私がこの作品に対して感じ想うことは【全身全霊】である。

【全身全霊】とは、まさに〈自己犠牲〉である。究極に奉じた人物はコッポラその人であることは言うまでもない。

そこに傑出した作品が生まれる萌芽がある。けれども、コッポラは傑作を創る気はなかった。私はそう断じる。彼は古典を創る気であった。
この作品において、その並々ならぬ信念を源とする限りなき無欲で作品と向き合っている。


人生を歩むとき、私は時折に想念が浮かぶことがある。これは、まさに生きる上で決して乖離しないことである。

それは "horror、、"という端的な表現である。コッポラの脚本中の台詞なのか、マーロン・ブランドの独創台詞なのか、それはそれとして置いておきたい。

コッポラは終幕近くで、その言葉を選び作品に刻み込んだ。それは、この多大な災厄に塗れながらも、作品を映画として成立させる、その本音であった。

「恐怖、、」
久保坂涼

久保坂涼